2017年11月19日日曜日

新刊紹介『「学びの責任」は誰にあるのか』


タイトル: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
著者: ダグラス・フィッシャー(Douglas Fisher)&ナンシー・フレイ(Nancy Frey

「学ぶのは誰か」と問われれば、もちろん「子どもたち」ですが、実際の授業はそのようにデザインされていません。(それは、教科書ありきや指導案の存在からも明らかです!)
学ぶ側はもちろん、教える側も学び続けられる「教え方・学び方」はないかと模索しはじめ、5年以上の時間をかけて探しだしたものの一つ★が本書で紹介している「責任の移行モデル」(①焦点を絞った指導、②教師がガイドする指導、③協働学習、④個別学習)です。
これを分かりやすい図に表すと、図1-1になります。

注意していただきたいのは、これらは①から④と順番に行うのでも、常にクラス全員(研修会では受講者全員)を対象に同じ段階の活動をさせるのでもありません。たとえば、②番目の「教師がガイドする指導」をするためには、「①焦点を絞った指導」が終わっていることが前提となります。と同時に、クラスの大半の生徒(受講者)が「③協働学習」か「④個別学習」に取り組んでいることも前提となります。そうでないと、教師は少人数(二~六人)の生徒(受講者)たちを集めて、一〇~一五分の「教師がガイドする指導」を行うことはできませんから。

 しっかりと計画され、実施される指導は、生徒たちと指導する内容について把握していることを教師に要求します。★★また、継続的に生徒たちの内容理解を評価することも必要となります。★★★そして、相互に関連しあう授業によって、教師から生徒に責任の移行が徐々に、計画的に図られる必要もあります。まさに、これを実現する教え方として「責任の移行モデル」が存在します(図で表すと、図1-5のようになります)。この図では、四つの段階が相互に行ったり来たりしているところが強調されています。教師(講師)は、これら四つをうまく使いこなすことで、生徒(受講者)の学びを最大限にすることができるのです。
 本書は、これら四つの要素を、異なる教科の例をふんだんに挙げながら分かりやすく解説しています。それによって、教師主導の「授業」=教師が教え込むことから脱却し、子ども主体の「学び」が可能になります。
これら四つの要素を、教師/講師を含めた大人たちが身につけることができれば、授業や研修が変わるので、生徒や受講者の学びの「質」「量」共に飛躍的に伸びることは間違いありません。★★★★


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ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を
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★ 他に見つけ出したものには、①ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップ、②一人ひとりをいかす教え方・学び方、そして③PBL~学びの可能性をひらく授業づくりなどです。

★★ 教材研究をしっかりやった上で指導案にのっとった授業は、残念ながら、後者の「指導する内容」は押さえているかもしれませんが、前者の「生徒たちのこと」はほとんど押さえていません。

★★★ 「見取り」という言葉はだいぶ前から存在していますが、その実態はほとんど伴っていない状態が続いています。見取りを実現する方法が「形成的評価」で、図5にしっかり明記されているだけでなく、四つの要素を詳しく説明している第2~5章の各章では、この項目を立てて具体的な方法が紹介されています。

★★★★ 教員研修の場合、「講義」だけで、身についたり、できるようになったりするはずはありません(焦点が絞られていないと、「退屈度」は増すばかりです!)。そして、たとえ内容のある「演習」(=③協働学習)を踏まえたとしても、④個別学習がないかぎり、難しいです。加えて、対象によっては、②教師がガイドする指導も欠かせません。何せ、身につけてしまっている負の習慣を「アンラーンする(学び直す)」必要性が子どもたちのレベルではありませんから。
こうしたことをうまくバランスさせるために何よりも重要なのが、「形成的評価」です。それによって、①~④の何を教師と生徒がすべきなのかが分かることで、「指導と評価の一体化」が実現するからです。逆に、継続的に形成的評価が行われていないと、事前に講師が決めたレールの上を(たとえ、それが効果的ではなくても)進む選択しかないことを意味しますから、結果的に残るのは教えた気になった講師(プラス何を得てほしいと淡い期待を抱いていて講師を呼んだ企画者)の満足感だけという悲しい状態が続くだけです。
  この偉大なる研修における「負の習慣をアンラーンする」ことこそ、授業レベルでの負の習慣をアンラーンする前提にないと、授業自体が変わるとは思えません。毎回の研修で、②~④なしで、ほとんど①だけの、まずい授業の見本を示され続けるのですから。日本の教員研修に携わっている人たちの中に、この事実を理解できている人は、残念ながらまだ一人もいないと思います。



2017年11月12日日曜日

PBLおもしろかった!! 新しいアイディアが生まれました!

 本は、『PBL〜学びの可能性をひらく授業づくり〜』(リンダ・トープ&サラ・セージ著、北大路書房、2017年9月)です。

 「この本の構成は、本当に読みやすかったです。最初で概観を示し、少しずつ詳細へと螺旋的に書かれていく感じは、理解が深まりました。一読して、最初の12章をもう一度読むと、さらに理解が深まっていることがよく分かり、この本の読み物としてすばらしさも感じています。
 PBLは、教師のインストラクショナル・デザインの力が試されると思いました。スタンダード(指導要領)・子どもの実態・地域の材という集合の中で、問題としてよいものを見つけ出す力は、教師のアイディアと創造力でしょう。しかし、こういうことがやりたくて僕は教師になったわけですから、腕がなるといえます!! のびのびと実践し、経験を積みたいです」と、メールをくれた横浜市の冨田先生が、読みながら付けたメモをベースに感想も送ってくれたので、紹介しますPは、ページ数です。)

● PBL3つの特徴
・学習者は、問題をはらむ状況の中で、利害関係者として問題を解決する。
・教師は、学習者が自分と問題とのつながりを感じながら学べるように、適切な方法を用いて包括的な問題を中心に据えてカリキュラムを編成する。
・教師は、学びの環境を整え、学習者の思考をコーチし、探究活動をガイドして、深い理解へと促す。(P18

● 構造化されていない問題と、子どもたちが担う役割(立場)の重要さ
・問題をはらんだシナリオの中で、学習者に利害関係者の役割を与える
・学習者が、構造化されていない問題をはらんだ状況に浸る
・構造化されていない問題は、その不完全な状況そのものがもつ力で、彼らに「知っていること」と「知るべきこと」を明確に区別する作業に取り組ませる。(P23P25)

最初、PBLとかつて私が取り組んでいた問題解決的な社会科の違いについて考えながら読んでいました。
 まず、PBLは構造化されていない、問題をはらむ状況そのものを扱うのに対し、私の問題解決的学習はかなり私が構造化し、子どもが消化吸収しやすいようにしていました。問題解決的学習は、国語や算数のように、完全に系統立って単元の授業計画を配列させていませんでしたが、私自身が子どもたちの学習の舵取りをして、学びやすいように経路を選択していました。PBLは、役割をつかって問題の利害関係者となり、その立場で自分の意志で探究していくので、その学びの責任や自由度はとても高いです。
「役割」というのは、キーワードだと思いました。一つの資料や問題記述を見ても、その役割(立場)によって見方・考え方は大きく違うことを学習に利用しています。子どもたちは、子ども(学び手)の立場以外にも、いろいろな社会的な立場に立って学習を探究するので、多様な立場からの考える力を育むだけでなく、立場を生かして学習を楽しむことができます。立場を変えれば、同じものを見ても全く違うものになるという学習経験は、これから社会に出て実際の問題を解決する子どもたちにとって、本当に大切です。
 一般的な学習だったら、次は農民の立場で、次は武士の立場でと、画一的に教師の指示の下に行われていくことはありますが、PBLでは、小グループがそれぞれ異なる立場を担いながら、同時に学習を展開し、学習のフィールドで役割になった遊ぶ感じがすごく楽しそうです。

●問題記述
・与えられた問題を解決する過程で学習者に「今の段階で取り組むべき問題を具体的に記述したもの」(問題記述)を書き表すようにさせています。
何度も繰り返して問題記述を書き改めてきたことで明確になった本質的な課題と、それが満たすべき条件に照らし合わせて、これらの解決策を評価します。(意思決定マトリックス) (P27
・コーチとしての教師の仕事は、簡単な問題記述で満足させず、タマネギの皮をむき続けさせることなのです。(P48)
・問題記述では、「〜という条件の下で、どうしたら私たちは〜できるだろうか?」という問いかけのひな形を使うことがよくあります。(P53)
・自分たちの手で現実の問題を明確にしていかなければならないのです。(P85)

 そして、この問題記述の考え方が、私には抜け落ちていたと感じました。
 ワークショップで「選書」や「問い・テーマ選び」など、学習プロセスとして簡単には表現するものの、本を選んだり、問いを作ったりすることは非常に難しいし、さらにそれが授業ではできても、日常生活の中でまったく役に立たないというのは、よく見られることです。
 日常生活は、目の前の状況を問題として捉えようとするプロセスから入って、問題解決がスタートします。どのように問題を捉えるかというところから始まるのです。それに対し、授業場面では出来上がった問題が提示されます。問題を捉えるというプロセスが抜け落ちていて、そこに現実に存在する問題(←これが、構造化されていない問題)のような複雑さはありません。
 選書で言えば、いつも児童書コーナーでその子の学年相当の本がきれいに並べられているようなもので、本当の選書力は、雑然とした情報の山から読みたい本を検索するところから始まるでしょう。「問い・テーマ選び」でも、子どもたちの様子を見ていたら分かるように、問いやテーマを発見することこそ、本質的な学びの肝であり、それができればほぼ探究的な学習は自立的に進んでいく確証を得たようなものです。けれど、本当の「問い・テーマ」は、複雑な現実社会の中で試行錯誤して、すこしずつ具体化していくもの。授業のように、黒板の一番上に学習問題が出ることなどないのです。
 目の前の状況を問題として捉えるという学習プロセスをしっかり授業の中に取り込んで、子どもたちに日常生活で生きる問題解決能力を身につけるのがPBL。目の前に食材が置かれるように問題が運ばれてくるのがわたしたちの学校の授業のように感じます。問題解決的学習は子どもから問いを生むという表現が使われますが、教室全体で一つの学習問題を追っていくために、一人ひとりが問題を捉える力や具体化する力を養えるとは思えません。けれども、PBLでは厳しくも、資料や立場から「知っていること」「知りたいこと」「思いついたこと」で複雑な現状を整理し、問題記述を一人ひとりが作成することを通じて、目の前の問題を具体化する(=学習問題をつくる)という学習プロセスを踏みます。最初の問題作りを丁寧に、そしてしっかり子どもたちに委ねて探究へと進ませるところが、私にとっては驚きでした。子どもにとって、日常生活の困った状況から問題を明確にすることこそ、本当に役立つ力です。

●学習サイクル
PBLの単元のテンプレート (P48)
・問題との出合い:蚊の問題に出合うための「指示書」
教師の環境の工夫
教師が活動目標を提示したり、問いを立てたりしない。子どもが「指示書」から「知っていること」「知るべきこと」「思いついたこと」を整理し、問題記述を作る。(P52)
・重要だと思って選んだ「知るべきこと」が共通する学習者同士で3〜5人のグループ(専門家グループ)をつくり、協働して活動するのがよくあるやり方です。そして情報収集が完結した時点で、それぞれの専門家グループからひとりずつ集まって新しいグループを作り、収集した情報を新しいグループ内で共有するのです。「ジグソー」
 問題記述の後に専門家グループ。最初から専門家グループではない!!(P55)
・問題に出合う・知っていること、知るべきこと、思いついたことを特定する・問題を定義する(テーマ・問いを立てるプロセス)情報を集め、共有する (P67)

 学習サイクルについても、かなり今までと違う視点が入っていると思いました。最初の問題記述を作ってから、ジグソーをうまく使って、グループ学習でしかも一人ひとりが学びの責任を感じられるような学習デザインがされています。グループ学習で、友達に頼りすぎて依存的な学習になる子の課題や、支援を得られないで孤立化してしまう課題を、うまく解決へと導いています。そして、問題記述に立ち返らせることで、問題をより具体化していくというのも、学習の目標や問題解決から逸れないための自己評価の方法として機能していますし、学習が深まれば深まるほど問題記述が具体化し、カンファランスの材料や学習の指標になるという点にも、なるほどという思いでした。問題記述に立ち返るというのが、ポイントです。

●評価がやる気を引き出す
・各グループがそれぞれ解決策を発表して、それぞれのグループの発表の後で生徒たちが審査委員会の委員と質疑応答する
・評価は、教師と生徒が一緒に作成したルーブリックによってなされることが多い。(P59)
・学習者とは、自分の努力の結果を知りたくなる存在です。自分たちの取り組みをきちんと考察し評価してくれる人がいると信じられるとき、彼らは情熱と厳しさをもって任務を引き受けるのです。(P87)

2017年11月5日日曜日

小中連携を推進するための鍵


 30年以上も前のことになりますが、ある中学校の職員室での会話です。
「今年入学してきた1年生は小学校でどんな教育・指導をされてきたんだろうか!?まったく生活面の指導ができていないよ。困ったものだ。」

 続いて、別のある小学校の職員室での会話です。
「小学校ではあんなにいい子だったA君が、中学校にいったらあんな不良になるなんて、どうしたのかしら!?」 

 このような発言は、小学校と中学校でなされている教育・指導の実態を知らない、あるいは理解しようとしない状況から生まれてきます。また、どちらも子どもの発達・成長や思春期の特徴についての無理解、友人やクラスの仲間、教師、家族その他様々な環境との相互作用によって起こる子どもたちの思考・感情・行動の変化に対する無理解、学習面と心理・社会面、進路面、健康面との相互影響関係についての無理解などからくるものです。 

 8月6日の「学級担任制と小学校教育と9月3日の「教科担任制と中学校教育では、それぞれ小学校教育と中学校教育の特徴・良さや課題およびそれを解決・改善するための方策について提案しました。今回は、これらの内容と関連する小学校教育と中学校教育の間にある大きな溝を埋めて、子どもたちが安心して学べるようにするための「小中連携」について考えてみました。 

「中1ギャップ」の解消、および教師が義務教育9年間を見通して子どもの発達・成長にかかわることなどを主な目的として、15年ほど前から多くの地域で「小中連携」や「小中一貫教育」が行われています。そのため、さすがに最初に紹介したような発言はほとんどなくなったと思います。 

 小中連携の取り組みとしてよく行われているのが、小学校6年生が年に2~3回中学校での学校生活を体験する取り組み「体験入学」です。6年生が中学校で、国語や社会、数学、理科、英語、技術などの授業を体験したり、生徒会による全校集会に中学生と一緒に参加したり、部活動の体験をしたりします。これらの取り組みは、小学校6年生の子どもたちの中学校生活に対するレディネスを高めるためのものです。 

 これらのほかに、さらに、中学校に入学する子どもたち一人一人の学習面や生活・行動面、身体・健康面、運動能力などの情報が、小学校から中学校に伝達されます。★ 

 本質的な意味での小中連携とは、小学校教育と中学校教育を担っている教師同士が互いに対する敬意をもって、お互いの教育実践を理解し、子どもの自己実現を図るための基盤となる信頼に満ちた学級経営と、強みやレディネス、興味関心、学習スタイルなど、一人一人の違いに応じられる授業・学習指導を構築するための連携・協同を実現することではないでしょうか。 

それを実現するために中学校区レベルでできる具体的な取り組みは、次の3つです。 

1.特別支援教育のニーズのある生徒を含め、学習面や生活面において気になる生徒については、中学校に入学してから少なくとも1年間は、「フォローアップ」の情報交換・学校生活適応のための支援の機会を定期的にもつ(夏休みを含めて年に2~3回程度)。★★ 

2.夏休みを利用して、教科や総合的な学習、特別活動などにおいて「質問づくり」を生かした子どもの発想や疑問に基づく単元開発、または「「違い」を力に変える学び方・教え方」による一人一人の違いに応じられる単元開発、あるいは「責任の移行モデル」で学習を進めるための単元開発を協同で行う。★★★ 

3.夏休みを利用して、特別支援教育のニーズのある生徒を含め、学習面や生活面において気になる生徒について、子ども一人一人の興味関心、レディネス、学習スタイル、強み・自助資源、援助資源などに基づいて「個別の指導計画」や「チーム援助計画」を協同で作成する。 

 1は、義務教育9年間の子どもたち一人一人の発達・成長のために学区の小中学校の教師が力を合わせるという意味で、この「フォローアップ」は重要です。 


3の取り組みを行う上で参考になるのが『石隈・田村式援助シートによる子ども参加型チーム援助』[図書文化]です。今までのチーム援助計画の作成に「当事者」である子ども本人の思い・願い・要望を取り入れて、子どもと一緒に学習や生活について考えていく画期的なものです。 

 これらの取り組みを通して、学校種の垣根を越えた教師同士の新たなコミュニティができ、様々な学びが生まれるはずです。ぜひチャレンジしてみてください。 



★  これらを参考にしながら中学校で新入生のクラス編成をします。最近は、子ども理解ができている小学校の先生方にクラス編成をしてもらったり、中学校でクラス編成した案を小学校の先生に確認してもらったりしています。私の勤務してきた地域では、小学校6年生一人一人に関する情報収集は、中学校3年生の学級担任が小学校6年生の学級担任から聞き取りをして行います。さらに、特別支援学級の学級担任同士、養護教諭同士による情報交換を行います。 

★★  参加メンバーは、小学校6年生のときの学級担任と中学校1年生の学級担任(特別支援学級の担任も含みます)+生徒指導主任、特別支援教育コーディネーター、養護教諭、スクールカウンセラー、管理職です。 

★★★  具体的な進め方は、以下のとおりです。

(1)小学校の教員と中学校の教員が4~5人程度のグループをつくり(ほとんどの中学校区では小学校の教員の方が人数は多くなります)、単元開発する教科などを一つ選択します(小学校の教科でも中学校の教科でもかまいません)。

(2)(1)で選択した教科などで2学期あるいは3学期に学習する単元の中から、①「質問づくり」または②「「違い」を力に変える学び方・教え方」、あるいは③「「責任」の移行モデル」を基にして行う単元を選びます。

(3)(2)で選んだ単元について、単元の目標を考え、それを達成するために①~③のどのアプローチが適しているかを検討し、アプローチの仕方を決定します。

(4)(3)で決定したアプローチ方法に基づいて、単元の具体的な学習の流れ・学習活動についてグループで話し合い、単元の学習指導計画を作成します。

※実際には、(2)と(3)については、単元とアプローチ方法の両方を一緒に考えながら同時進行で選択・決定してよいと思います。

2017年10月29日日曜日

特別支援の教え方を


108日のこのブログで「特別支援の教え方をすべての教室に」が掲載されましたが、その話についてコメントしたいと思います。

以下のような記述がありました。

「一般級の教室をさっと見ただけで、45分間意味を見いだせない学習に耐えきれない子どもや、大人数の教室環境に耐えきれない子どもは少なからず存在することが分かります。そして、しっかり見ないと気づけない注意力に課題のある子や、学習に偏りのある子など、教室は特別支援級と同じぐらい多様な子がひしめき合っています。子どもの多様性という点において、一般級と特別支援級の違いはほぼなくなってきているように思えます。特別支援級であれほど個に応じた学習が工夫されているのに、壁をひとつ挟んだ隣の教室では、いまだに個人よりも学習内容の方が大切にされる学習が行われていることが不思議でなりません。一般級から特別支援級、特別支援級から一般級へと、異動は少なからず行われているのにも関わらず、個に応じた学習は特別支援教育特有のものであるという認識からか、個に応じた学習が一般級で大切にされることは少ないように思います。」

     まさに、学校現場はそのとおりです。
 

数年前の文部科学省調査で、発達障害の可能性のある小中学生が6.5%に上ることが分かっています。推計で約60万人に上り、40人学級で1クラスにつき2、3人の割合になるわけです。こうした子供たちは学習を進めていく上で、困難を抱えることが多く、通常学級では担任の配慮がなければ教科の学習でつまずくことになります。



さすがに、文部科学省も事態を看過できず、今回の学習指導要領の改訂で、各教科の解説書の中で、やっといくらか踏み込んだ記述をしています。
 (『小学校学習指導要領解説・理科編』平成296月文部科学省より)
     
 第4章指導計画の作成と内容の取扱い

1指導計画作成上の配慮事項

(3) 障害のある児童への指導

(3) 障害のある児童などについては,学習活動を行う場合に生じる困難さに応じた指導内容や指導方法の工夫を計画的,組織的に行うこと。

 通常の学級においても,発達障害を含む障害のある児童が在籍している可能性があることを前提に,全ての教科等において,一人一人の教育的ニーズに応じたきめ細かな指導や支援ができるよう,障害種別の指導の工夫のみならず,各教科等の学びの過程において考えられる困難さに対する指導の工夫の意図,手立てを明確にすることが重要である。 
~途中省略~



例えば,理科における配慮として,実験を行う活動において,実験の手順や方法を理解することが困難であったり,見通しがもてなかったりして,学習活動に参加することが難しい場合には,学習の見通しがもてるよう,実験の目的を明示したり,実験の手順や方法を視覚的に表したプリント等を掲示したり,配付したりするなどが考えられる。また,燃焼実験のように危険を伴う学習活動において,危険に気付きにくい場合には,教師が確実に様子を把握できる場所で活動できるようにするなどの配慮が考えられる。さらには,自然の事物・現象を観察する活動において,時間をかけて観察をすることが難しい場合には,観察するポイントを示したり,ICT教材を活用したりするなどの配慮が考えられる。

なお,学校においては,こうした点を踏まえ,個別の指導計画を作成し,必要な配慮を記載し,翌年度の担任等に引き継ぐことなどが必要である。

 
まさに「一人ひとりをいかす教室」づくりが大切であると文科省も言っているわけです。

特別支援教育で行っている様々な指導上の配慮が当然、通常級でも求められる、というか今後そうしなければ学習でつまずく子供たちがますます増えていくことになります。

 
大学での教員養成の段階から、こうした特別な支援の必要な子供たちへの指導のあり方についてしっかり学んでいく時期に来ているのだと思います。また、もし残念ながらそのような内容を学ばずに学校で教師として働くようになった人たちも、今はいくらでもそのような情報を入手して、自分で学ぶことが可能です。「学び続ける教師」でありたいものです。

2017年10月22日日曜日

「宿題」問題


宿題のテーマでの続編です。
に夏休みの宿題について扱ったのですが、あまり関心をもたれませんでした。時期的に過去形だったからでしょうか?(なので、再度の挑戦です!!)

いま訳している本★の中に宿題に関して「教育のテーマの中で、宿題ほど議論が多いテーマはないかもしれません」と書いてありました。
プラスとマイナス面は、いろいろあると。「ありすぎる」と言った方が正しいです。

実態はほとんど変わらないので、日本でも議論する必要があるはずなのに、波風を立てない文化なので(?)★★、上記の夏休みの宿題で紹介したように産業化(アウトソーシング)してしまうわけです。GNPを上げる仕組みとしてはいいかもしれませんが、それによって私たちはいったい何をうみ出しているのでしょうか? 子どもたちに何を提供しているのでしょうか?

この本の中では、宿題への対処の仕方として4種類の生徒(その後ろにいる親も含む?)に分類しています(訳書の194ページ)。
  やり遂げる子 ~ 親や年上の兄弟姉妹が必要な足場を提供することで、つつがなく宿題をやってのける。
  無視する子 ~ (あなたが理解不能な)何らかの理由で、宿題をしない。
  教師を喜ばせようとする子 ~ 本当はどうしていいのか分からなかったり、たくさんの間違いを犯したりしても、教師を満足させるために宿題を一人でがんばってやる。
  カンニングをする子 ~ 他の子の宿題を写してごまかす。

これだけの多様な宿題へのアプローチの結果、教師がつかまらされるデータについて考えてみてください。(それとも、そもそも日本では、宿題と授業が関連していないことが問題でしょうか?)

本はさらに、宿題を4つのタイプに分けています(訳書の196~197ページ)。
・流暢さを高める宿題 ~ 生徒にすでに知っているスキルの練習をさせるのが目的
・繰り返し(らせん状的に)振り返る宿題 ~ 新しいスキルや概念を学ぶ際に必要な、すでに背景知識となっているものを呼び起こすのが目的
・応用するための宿題 ~ 新しく学んだスキルを異なる状況に応用する機会を提供するのが目的
・拡張/発展するための宿題 ~ 2つか3つの教科で学んだ知識を深めたり、統合したりするのが目的

そして、「応用するための宿題」と「拡張するための宿題」のみが、責任の移行モデル★の中では、真の意味で「個別学習」と言えると言い切っています。(言い換えると、上の2つは宿題としてやらせるのではなく、教室の中で「協働学習」ないし「教師がガイドする指導」の形で行われるべき、と提案しています! 訳書の197ページ)
本の中では、この後、効果的な宿題をつくる際に役立つ質問の例が紹介されています(訳書の199ページ)。

ということで、宿題もいろいろあり、もっと考えたうえで出さないと、学びをサポートすることにはならない、ということです。夏休みの宿題はもちろんですが、日々の宿題についてもぜひ再考をお願いします。(ちなみに、宿題は親抜きで考えること自体、おかしいようです。宿題をしたか否かの監視役を務めさせては、親子関係を傷つけたりするだけですから。)


★ すでに、「責任の移行モデル」は『「読む力」はこうしてつける』の66~68ページで紹介しましたが、その方法があまりにもいいので(65~66ページで紹介されている「ナチュラル・ラーニング(自然学習)モデル」は、もっといい!!)、なんとか紹介できないか、とずっと思っていました。それが、単に読みの教え方だけではなくて、すべての教科、すべての対象を扱った教え方としても使える、という形で紹介されている本があったので、紹介することにしました。11月中旬にはダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ著『「学びの責任」は誰にあるのか? ~ 「責任の移行モデル」で授業も研修も変わる』新評論として出版予定です。
  この本の中では、教師から生徒への学びの責任の移行は「焦点を絞った教師の指導」「教師がガイドする指導」「協働学習」「個別学習」の4つで構成されています。
  焦点を絞った教師の指導は、ミニ・レッスンです。
  宿題は、個別学習の一つの方法です。
  http://wwletter.blogspot.jp/2017/08/blog-post_11.html ~ 読むときは、個別学習の中心は、一人読みになります。日本では、これが見事なぐらいに国語の時間で無視されています。(ということは、自立した読み手を育てることは目的にしていないことを意味してしまいます!)その代わり、日本の国語で(および他の教科でも)行われているのは、「焦点が絞られない教師の指導」ばかりです。最近は、協働学習も増えているでしょうか?
  この本を読んで、バランスのいい指導を実現してください! 子どもたちも、研修等の受講者も、それを求めています。

★★ 私も、宿題が欧米の教育界では注目の話題であることは、ほんの2~3年前までは知りませんでした。如何せん、日本では議論にさえあがりませんから。あって当然な存在で、それに異論を挟む余地などあろうはずがない、という空気が充満しています。しかし、その中身や量に関しては、いろいろ考える余地は多いのではないかと思います。誰もが思考停止状態でそれをやり続けているのですから。それとも意図的に行われているでしょうか?


2017年10月14日土曜日

学びの可能性をひらく授業づくり


先月末のブログには、「教科の本質を追究する授業づくりとは」を書かせてもらいました。

 今回はこれに関連する本を紹介したいと思います。
     

 最近発売された『PBL 学びの可能性をひらく授業づくり』(伊藤通子・定村誠・吉田新一郎訳/北大路書房)です。

 PBLとはProblem Based Learningの略称で、「現実的な問題に基づく学習」とよばれるものです。同じPBLでも、Project Based Leaningもありますが、今回取り上げるのはProblem Based Learningです。

 このPBLの定義は、同書によると次の通りです。(同書p.18)
 
複雑な現実の問題に対する探究とその解決を中心に据えて集中して取り組む、体験的な(身も心も使った)学びです。PBLは、カリキュラム編成と指導法という補い合う二つのプロセスからなり、次の三つの大きな特徴をもっています。




・学習者は、問題をはらむ状況の中で、利害関係者として問題を解決する。
   
・教師は、学習者が自分と問題のつながりを感じながら学べるように、適切な方法を用い 
 て包括的な問題を中心に据えてカリキュラムを編成する。
   
・教師は、学びの環境を整え、学習者の思考をコーチし、探究活動をガイドして、深い理
 解へと促す。
   
先月のブログで紹介したワシントン州ウォータービル小学校での3センチの角をもつトカゲ(学名・サバクツノトカゲ)を研究対象とした理科授業の実践のように、教室内にとどまらず、本物の学びを展開することができます。「その分野の専門家」のように、教科の本質を子供とともに深め合う授業が可能になる手法です。


このPBL1960年代にカナダのマクマスター大学医学部で、大学での学びが医療の臨床現場での実践にうまく結び付かないという課題を克服するために考え出されたのがその出発点のようです。ですから、当然のようにその手法は「構成主義的なアプローチ」を取ることになります。その特徴には次のようなものがあります。(前掲書p.44)
    ・学習者にとって意味のある広範な役割や問題を学びの中心に据えること


・学習者が事前にもっている知識の周辺に新たな学びを構築すること
   
・複雑で現実的な状況の中で学習者の学びを支援すること

・学習者の視点を探り、把握すること  ( 以下略 )

このように見てくると、このPBLは、次期学習指導要領において求められている「主体的で対話的な深い学び」を実現するためにかなり効果的な手法であると言えます。

この本には、PBLを実践した現場の先生の声が次のように紹介されています。(同書p.32)


生徒たちから質問されたときは、すぐに答えを返そうとするのではなく、むしろその質問をじっくりと振り返り、生徒たちにそれをまっすぐに投げ返すことに慣れなければなりません。そして、それはそんなに簡単なことではありません。 (ドッズ先生)

 
    これから「深い学び」をどうやって実現していこうかと考えておられる先生方に、ぜひこの本をお薦めしたいと思います。           

 

2017年10月8日日曜日

「特別支援の教え方をすべての教室に」 〜 インクルーシブ教育で一般級を変えよう 〜


 障害のある子も区別されずに同じ場で一緒に学んでいくインクルーシブ教育が進められています。僕もとてもいい考え方だと思います。この世界にはいろいろな人がいて、いろいろな形で学びたいと願っているということを、肌で感じられるからです。でも、少し気になることがあります。

 今年度、初めて特別支援学級の担任を経験しました。驚いたことは、教科書や指導案のような進め方がないことです。僕は主に5人の子どもを担当していますが、どの子も前任者から引き継いだ事を生かしたり、自分の得意なことを生かしたりして学習を組み立てていきました。最初は、どの子がどういう特性をもっているのか、引き継ぎでの情報のみで実際には分からなかったので、自分の得意分野である簡単なゲームや本を生かして、子どもたちとの関係を作っていきました。
 そうすると、子どもたちの発達上の特性や、学習上の課題がぼんやりと分かってきます。前任者からの引き継ぎと重ねて子どもを観察することができ、「この子はこういうことができるようになったらいいなあ」「この子はきっとここまでできるようになるぞ」といった目標が見えてきます。また、信頼関係が築けると、子どもたちの方から「もっとこういうことができるようになりたい」という声も聞けて、目標を一緒に作れるようにもなっていきました。

 特別支援級で学習する子には、「個別の指導計画」というものを作ることが決まっています。たとえば、国語の力ならば、「学期末までに、文章の中の中学年程度の漢字を読めるようにする」とか、そのための学習方法などを具体的に計画するものです。前任者の前年度の計画や報告を見ると、その子がどのような学習経験を辿って今いるのかということが分かります。冒頭にも示した通り、4年生だから4年生の漢字を習得しなければならない、4年生だから都道府県の名称を全部覚えなければならないということではなく、その子の実態に応じて、各教科ではどのようなことを目指すのかを教師達がじっくり考えて目標設定をすることができます。

 教え方も、とてもその子の実態に応じています。例えば、ポケモンが大好きな子どもには、ポケモンに登場するキャラクターを使ってカタカナの反復練習ができるプリントを作っていました。興味が持続しないことがその子の課題でしたが、ポケモンのカタカナ練習は全てのポケモンの名前を練習し、得意満面の笑みを浮かべていました。また、電車にだったら興味を示すことができる子がいました。その子には、新宿駅・代々木上原駅・下北沢駅・成城学園前駅のように駅名を並べて、物の長さを測るときに「横浜駅から下北沢駅まで伸ばせたね」のように物の長さを比較できるように工夫していました。どちらもベテラン教師の卓越した技ですが、このような指導方法に触れることができて、僕自身の指導のあり方が変わりそうな気がしています。


        写真は、オランダで撮った小学校の教室の風景です。
     あまりにも日本の特別支援級のような作りで驚きました。


    <メルマガからの続き>


 最近、特別支援教諭の免許を取得しようと通信教育で講義を聞いているのですが、障害のある子は就学義務の免除という名目で、義務教育から遠ざけられてきた時代がありました。養護学校の義務制が完全実施されたのは1979年。今日まで、特別支援教育に携わる全ての人の努力により、徐々に多様性のある子どもたちの学習のあり方が形作られ、僕が体験したような教え方や学び方が、一般の小学校の特別支援級でも行われるようになってきていることに、とても感動をしました。特別な支援の必要な子が学習できるようにすることはとても高い技術を必要とします。先生たちの多大なる工夫や新しい教育に関する研究の成果が、そこかしこに散りばめられているように感じます。教室や講義からは、子どもに変化を強要するのではなく、指導計画、学校、教師が子どもに応じて変わっていく姿勢が感じられました。
 
 翻って、一般級に目を向けてみると、みんなで同じ教科書教材を読んだり、同じテーマで作文を書いたりと、古くから行われてきている伝統的な教え方学び方が今もはびこっています。確かに、機械的な繰り返し、威圧・懲罰に依る指導は見られなくなり、学習環境は少しずつ変わってきているとはいえますが、特別支援級ほど個の多様性を考慮した支援が行われているとは言えません。基本的には、同じ学年に在籍する子どもには同じ目標・評価が当てはめられます。さらに、ほとんど多くの学習は、同じクラスに所属していれば、学ぶ方法は同じ、学びの成果物も同じというのが基本です。「評価・評定できないから」という理由から、子どもを指導したり比較したりしやすいように制度設計されています。特別支援級で見られるような、子どもの実態に応じて目標や学習内容を決めたり、子どもの特質に応じて教材や学習方法を変えたりする柔軟性を、一般級の中から見つけることはなかなか難しいことです。

 一般級において、学習をする上で最初に考えられてきたことは目標や内容です。「10月はこの単元を学習する」「2学期までに30ページまで進む」といったことでした。熱心な教師は、この内容を子どもたちが一生懸命楽しく学ぶためにはどう教えたらよいのかと、試行錯誤して教材研究に励んでいます。そして、習熟が進まない子どもに対して、休み時間に残して練習問題を解かせたり、追加で宿題を出したりすることで、一般級の中の習熟に時間のかかる子に対応をしています。

 けれど、特別支援級でもっとも大切にされていることは、「子ども理解」です。何が好きか、何が得意か、どのような力に秀でているか、そしてそこから、今の姿から社会的自立を果たすためにどのような力を身につけたらよいか、その力を身につけるためにはどのような短期目標を設定したらよいか、その個に実態に沿った学習が組織されていきます。ですから、その子にとっての習熟とは、同じクラスの平均的な子やB基準と言われる到達目標と比べられるのではなく、4月のその子自身、今のその子自身と重ねて、その子の成長を捉えていきます。特別支援級では、ABCの評定はなく、子どもの学習に寄り添った教師から、その子の成長の様子が具体的に書き込まれた成績表をもらうことになります。

 特別支援級では、熱心な教師が夏休みまでに漢字の練習ドリルを全て終わらせるような風景は見られません。また、冬休みまでに九九を全て習得させようと休み時間に残して練習させることもありません。それは、最初の段階でその子の子ども理解やそれに基づく支援計画の改善が必要で、僕の学校のベテラン特別支援教師は、練習ドリルという支援の方法を改めるかもしれません。また、冬休みまでに九九を覚えるという計画を見直して余裕を持って練習したり、継続的に練習できる機会を設けたりすることでしょう。子どものほうが変化を強いられるのではなく、子どもが自立的に学習に向かえるように、支援や計画の方を改善するように考えることでしょう。

 一般級の教室をさっと見ただけで、45分間意味を見いだせない学習に耐えきれない子どもや、大人数の教室環境に耐えきれない子どもは少なからず存在することが分かります。そして、しっかり見ないと気づけない注意力に課題のある子や、学習に偏りのある子など、教室は特別支援級と同じぐらい多様な子がひしめき合っています。子どもの多様性という点において、一般級と特別支援級の違いはほぼなくなってきているように思えます。特別支援級であれほど個に応じた学習が工夫されているのに、壁をひとつ挟んだ隣の教室では、いまだに個人よりも学習内容の方が大切にされる学習が行われていることが不思議でなりません。一般級から特別支援級、特別支援級から一般級へと、異動は少なからず行われているのにも関わらず、個に応じた学習は特別支援教育特有のものであるという認識からか、個に応じた学習が一般級で大切にされることは少ないように思います。一クラスの人数、教師の不足、スペースの不足、評価の問題、理由をあげればキリがありませんが、子どものための学校と考えるならば、現状を改善するようなチャレンジングな実践が推し進められるべきでしょう。特別支援級と一般級の融和が進まないことが不思議でなりません。

 特別支援教育に携わるまで、インクルーシブ教育は「特別な支援が必要な子でも一般級で学習できるように配慮する」というイメージで捉えていました。つまり、特別支援級の子どもを一般級で受け入れるというイメージです。けれど、それは間違っているのではないかと思うようになりました。
 つまり、反対に、一般級の子どもたちも特別支援級の多様性を生かした学び方ができるように、学校全体が変わっていかなければならないということです。つまり、過言を恐れず言えば、「一般級の子どもたちが特別支援級で学ぶようにインクルーシブ教育を作り出していく」ということです。(文責+写真:冨田明広)

 この最後の部分にフォーカスした(=個に応じた学習を一般級で可能にする)本が、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(キャロル・トムリンソン著、北大路書房、2017年)ですが、他にいい本や資料をご存知の方は、ぜひpro.workshop@gmail.com宛に教えてください。