2012年6月24日日曜日

問いかけの重要性


吉田さんの前回の話を取り上げます。



『その「クリティカルな問いかけ」が教師から発せられた/投げかけられたことによって、ワシテにはビジョンができました。「点を描く」という。』

 「問いかけ」の重要性についてはこの「PLCだより」でも何回か取り上げられている思います。

 いつも自分の学校の職員の授業を見ていて、もっと問いかけを工夫すれば、さらに子もたちは深く考えることができるのにと思うことがあります。

 「問いかけ」の内容、仕方で授業の流れは簡単に変わってしまいます。



 次にイニシアティブについて述べられています。

『イニシアティブ(initiative)は、自分の選択で主体的に動き出す、という意味です。』

学習には、このことがとても重要です。

自分で選べないということはどうしても受け身になってしまうということです。学校と教委の関係でも同様です。



次のオウナーシップも重要な要素です。

『オウナーシップ(ownership)は、自分のものと思えることです。言われたからするので はなく、主体的にするということです。』

教育委員会の施策をこなすだけの立場におかれている学校は、どうしてもこのオウナー シップが持てません。ここでもやはりビジョン作成の過程が重要になってくるものと思 われます。



最後に『コミットメント(commitment)は、自分が主体的に決めて、心底打ち込むという意味です。人から与えられたものは、ほどほどやるレベルです。』

「人から与えられたもの」にやる気がおきないのは当然です。

それでも、われわれは仕事だから「仕方なく」やるわけですが、これでは達成感ややりがいを感じることはできません。

 これらの3点とビジョンがすばらしい活動のサイクルを創り出すのですね。



私は、こうした多数のサイクルを作り出す要のポジションに校長先生や指導主事や教育長や教育センター長はいると思います。ぜひ、「ビジョン」「インスピレーション」「エネルギー」を持ってもらえるような「クリティカルな問いかけ」をいろいろな人たちにしていってください。(その過程では、相手に「イニシアティブ」「オウナーシップ」「コミットメント」を提供することと、したことの「評価」は必要です。「評価」よりも「祝う」「称える」と言ったほうがいいかもしれません。)』



まさにここがポイントなのだろうと思います。

このようなサイクルが回り始めるような「問いかけ」をぜひ続けていきたいものです。

そのためには、今の学校には何が必要なのか、何が求められているかという実態の分析が欠かせません。そこで、あらゆる角度からの情報の収集が大切であるとともに、必要と思われることを躊躇なく実行していく決断(勇気)が求められるのだと思います。




2012年6月17日日曜日

『てん』の教訓 ④


 今回は、私が『てん』に出会う10年以上前に出会い、そして実際翻訳出版した『エンパワーメントの鍵』という本との関連で、導き出せたものを紹介します。

 私も、『てん』を最初に読んだ時は、先生の「すばらしい問いかけ」「ユーモアのセンス(吹雪の中の北極熊ね!)」「演技(金色の額縁に飾る)」に痛く感心しました。(「感動した」と言ったほうが正しいかもしれません。)
その後10回ぐらい、研修会で読み聞かせをしても下の図には至りませんでした。15回目ぐらいに読んだ時、下の図にようやく気づきました。(おそらく、1回で下の図を感じてしまう方もいるかと思います。いずれにしても、いい本 ~それがたとえ絵本であっても~ は繰り返し読むことに価値があるようです。)




 上の図を説明します。(図をクリックすると、拡大して見られます。)
 やはり、教師からの問いかけ、それも「クリティカルな問いかけ」が決定的に大切です。子どもによっては、それがないと動き出せない子も少なくないからです。(大人対象の研修でも、同じかと思います。)“クリティカル(critical)”には、“批判的な”という意味だけでなく“とても重要な”“大切な”という意味もあります。日本では「クリティカル・シンキング(critical thinking)」を「批判的思考力」と一般的に訳していますが、それも含めて、「大切なものを選び抜く力」だと私は思っています。
 その「クリティカルな問いかけ」が教師から発せられた/投げかけられたことによって、ワシテにはビジョンができました。「点を描く」という。
 その際に大切なのが、イニシアティブおよびオウナーシップとコミットメントです。全部カタカナですみません。ある意味では、全部似ています。
イニシアティブ(initiative)は、自分の選択で主体的に動き出す、という意味です。
オウナーシップ(ownership)は、自分のものと思えることです。言われたからするのではなく、主体的にするということです。
コミットメント(commitment)は、自分が主体的に決めて、心底打ち込むという意味です。人から与えられたものは、ほどほどやるレベルです。
 ビジョンと、これら3つがそろったので、インスピーレーション(inspiration)が止め処もなくわいてきました。インスピレーションは通常「ひらめき」と訳されますが、語源は「息を吹き込む」「命を吹き込む」という意味です。ワシテは、まさにそんな状態で、いろんな点を描きました。点を描かないで点を描くことまでしてしまいました。
 それ自体が、ワシテのエネルギーを引き出していたと思います。まさに、元気になっていたのです。


    <メルマガからの続き>


 そして、展覧会で発表するチャンスをもらったことで、評価を得ると、それを次の人に提供する立場になっていたのです。今度は、自分が「クリティカルな問いかけ」をし、「ビジョン」を提供する側です。
こうして、どんどんサイクルが回っていったらすごいことだと思いませんか?★ ワシテのような「変化の担い手」が、学校にドンドン増えるということです。★★

 私は、こうした多数のサイクルを作り出す要のポジションに校長先生や指導主事や教育長や教育センター長はいると思います。ぜひ、「ビジョン」「インスピレーション」「エネルギー」を持ってもらえるような「クリティカルな問いかけ」をいろいろな人たちにしていってください。(その過程では、相手に「イニシアティブ」「オウナーシップ」「コミットメント」を提供することと、したことの「評価」は必要です。「評価」よりも「祝う」「称える」と言ったほうがいいかもしれません。)

 もちろん、こんな解釈は、作者のピーター・レイノルズさんも、訳者の谷川俊太郎さんも、ありがた迷惑かもしれません。しかし、これが現時点での私のこの本の解釈です。あと10回ぐらい読むと、また変わるかもしれません。(そうあってほしいと思っています。)


★ レイノルズさんは、ちゃんと『てん』の続編として『っぽい』をかいてくれています。ワシテに問いかけられて、線を描き始めたラモンの物語です。でも、『っぽい』はそれ以上の解釈が可能な物語でもあります。『てん』と一緒にどうぞ。教師や親、そしてもちろん管理職には必読の書です。

★★ 校内研修も教育センター等で行われる教員研修も、当初はこういうことが起こることを期待してやり始められたのだと思います。でも、いつの間にかそれをすること自体が目的化して、方法の部分がおろそかになり(改善の努力がまったく行われることがなく)、多くの者にとって無駄な時間になってしまったのだと思います。残念ながら、教員対象の研修がそういう状況ですから、それにあわせるかのように(なんと言っても入れ子状態ですから)授業も「ビジョン」「インスピレーション」「エネルギー」「イニシアティブ」「オウナーシップ」「コミットメント」、そしてしたことの「評価」が得られないものになってしまっています。

2012年6月10日日曜日

優先順位の不明確さ=ビジョンの欠如


 行き着いたところの一つは、表題の「優先順位の不明確さ=ビジョンの欠如」でした。これについては、いい学校の作り方について書いた『いい学校の選び方』(中公新書)の「あとがき」にすでに書いていました。読み直してみると、状況は改善しているどころか、さらに悪化しているとしか思えません。(→斜体は、今回新たに付け足したところです。)


この本の執筆中に改めて気づかされたことがある。それは、ビジョンの大切さだ。
ビジョンとは、「こんなふうになったらいいな!」と思える未来像である。しかしそれは、実現できるかどうかわからない「夢」や「願い」ではない。努力をすれば実現可能なものである。また、形式的なものでもなく、人をワクワクさせ、元気にし、行動に駆り立てるものでなければならない。したがって、あまり遠すぎる未来像ではダメで、5年から7年ぐらいで実現できそうと思えるものがいい。(→校長さんや指導部長・課長さん、そして教育長さんや研修センター長さんの任期を考えると、いいところ「3年」に設定した方がいいかもしれません。)しかも個人のレベルではもちろん、組織全体に共有されていないと、個人も組織も元気にはなれない。執筆の期間中に接した教師たちや、子どもを学校に通わせている親たちや、教育委員会に所属する人たちに共通に欠けているものが、まさにそのビジョンであった。(→4月1日に書いたように、それは間違っても校長や教育委員会の担当者が一人(ないし数人)で書いてしまうものではありません!それをしている限りは、組織全体での共有は不可能ですから。)

  しかし、ビジョンはないのに、みんな忙しい。"気の毒なほど忙しい"。(→忙しさも、8年前に比べて悪化しているように見受けられます。)よけいなお世話かもしれないが、なぜ忙しいのかを考えてみた。私は何度考えても「ビジョンがないから」という結論に達してしまった。それほどビジョンは大切なものなのである。
  ビジョンがないと、どうなるか?

・ あいまいな目標しか立てられない。なぜならば目標はビジョンを達成するために段階的に立てるものだから。
・ 優先順位がはっきりしない。
・ 本来やらなくていい仕事まで含め、たくさんの仕事を抱え込まなければならなくなる。(→何はやるかと同じレベルで大切なのは、何はやらないかです。ないし何はほどほどに取り組めばいいのかを判断することです! ビジョンないし優先順位がはっきりしていないと、この判断がなかなかできません。)
・ 忙しいので、一見仕事をしているつもりにはなれる。
・ 新しいことをすることが難しい。
・ 考える時間、創造する時間、話し合う時間がない。
・ 本音で話せる仲間が見出せない。
・ 合意を取るのが難しい。
・ 課題の解決に取り組む際は、短期的には問題解決になるように見えても、実はならないか、長期的には新たな問題をつくり出している可能性すらある。

 まさに悪循環である。

  <以下は、メルマガからの続き>

 私にビジョンの大切さを最初に認識させてくれた本は、1991年に出会った『非営利組織の経営』(ピーター・ドラッカー著、ダイヤモンド社)である。この中で著者は、「ビジョンのない組織は消えた方がいい」と言い切っていた。学校も、病院も、役所も、非営利組織であるから、「消えた方がいい」などと言われる前に、そこで働く人も、それを利用する人たちもワクワクできるようなビジョンをぜひつくってほしい。
  『非営利組織の経営』には、残念ながらビジョンの描き方は紹介していなかったので、約4年間探して見つけたのが『エンパワーメントの鍵』(クリスト・ノーデン-パワーズ著、実務教育出版)である。
 これら2つの本を参考にして、まずは忙しさからの脱却と、明確でしかもワクワクするビジョンをつくり出すことをぜひお薦めする。(→ ビジョンが描ければ、優先順位がはっきりし、従って忙しさからも脱却できます。いいこと尽くめです!)

 私が本書の書き出しの部分で、自分の考えている「いい学校のイメージ」を紹介したのも、同じ理由からである。(→それは、この本の5~14ページに書いてありますが、「いい授業のイメージ」も127~130ページに紹介しました。)

★次回の予告: 次回は、いよいよ私の『てん』の解釈を紹介します。

2012年6月6日水曜日

教育委員会が取り組むべきことは?



あなたは、今後の教育の方向性」のテーマで何を話しますか? あるいは、
教育委員会に対して何を大切にしてほしいですか?             あるいは、
教育委員会は何を優先して取り組むべきだとお考えですか?

 どうも、優先順位がはっきりしていないので★、同じことを繰り返しているというか、改善できないままが続きすぎています。

 もちろん、同じことは「学校(=校長)」や「授業(=教師)」に対してもやれてしまいます。

 他に対象として考えられるものはありますか?

 そういえば、文科省というのがありました。まったく期待できないので、存在自体忘れてました。


★ この優先順位を明確にできないことが、すべての問題の根源にあるようです。「なにもかもすることは、何もしないことですから」 その意味で、優先順位とは1つか2つ、多くて3つです。それ以上は、人間いい加減にしかやれないのはわかっているのですから。
  1つか2つを確実に変えられたら、学校も授業も大きく変わります。すべては、つながっていますから。入れ子状態を思い出してください。でも、4つ、5つ、あるいは10こをやり続ける限りは、何も変わりません。
  変わるための選択をするか、それともこれまでのように変わらない選択をし続けるかが問われています!! (いずれにしても、選択はしています。)

2012年6月3日日曜日

教育の地方分権

先日、市教委と市校長会代表の意見交換会がありました。
 私も参加したのですが、そのなかで、「今後の教育の方向性」というテーマで話をする場面がありました。
 私は次の4点について話をしました。

1   競争ではなく、協奏を          
2   知識創造・・・基礎・基本から活用へ
3   コミュニケーション力・・・「英語」は必須⇒英語教育の見直し
4   オランダに学ぶ⇒「理性を育てる教育」「助け合いの精神を培う教育」

1    については、以前このブログでも書いたように1994年に「子どもの権利条約」を批准したわが国に対して、2010年国連・子どもの権利委員会からの勧告が出されていること。
「高度に競争的な学校環境が、就学年齢にある子どもの間で、いじめ、精神障害、不登校、中途退学、自殺を助長している可能性があることを懸念する。」
したがって、基本的な考え方としては、学力向上のために「競わせる」ことは望ましくないということです。

2   については、先日PISA2015(3年後の調査問題)の作問にかかわっているある大学の先生の話を聞く機会があったのですが、これからは「協調型問題解決」、つまり一人では解けない問題を少人数で話し合って解き、そこから次のゴールを見出す能力が試されるということでした。
この国が今後科学技術立国でやっていくのか、観光などのサービス産業で生きていくのかはわかりませんが、いずれにしても基礎・基本を活用した授業づくりが求められることは確かでしょう。

3   については、言うまでもなく、英語教育をどうするかは喫緊の重要課題です。
4   については、人口規模の問題もありますから、そっくりまねして導入すればいいというわけではありませんが、教育に対する基本的な考え方は大いに学ぶべきだと思います。

地方分権が叫ばれるようになってしばらく経ちます。教育の世界ももっともっと、地域の実態に合った分権が進んでほしいものです。