2012年10月28日日曜日

オーストラリアの理科教育


前回の投げかけと関連するオーストラリアでの動きを見つけました。

Three key ideas I believe to be important in school science:
•  Science education shouldn’t be prescriptive – it is about the ‘spark of excitement’ that stems from discovery
•  Open-ended tasks and relevance are vital – students need to understand the world around them and make rational decisions on important issues
 Teacher confidence and professional development is just as important as the students’ learning materials.

出典: Re-imagining Science Education: Engaging students in science for Australia’s future, by Russell Tytler, Australian Council for Educational Research, 2007

最初から英語ですみませんでした。これを、日本語に訳すと、以下のような感じです。

学校における理科教育に大切なことは3つある。
・理科教育は、教師(教科書)のシナリオ通りに行われるべきではない ~ 興奮したり、発見できることこそが大事。
・唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動が大切 ~ 生徒たちは自分の身のまわりの世界について理解し、重要な問題について考え、そして意思決定ができるようにしてあげるべき。
・子どもたちの学習材と同じレベルで教師が学び続けることから得られる自信が大切である。

以上は、オーストラリアで理科教育の新しいあり方を提案する報告書の中に書かれていた一節です。ですから、まだ実践されているというよりは、目指す方向性を示した、と言えます。

 あなたは、上に書かれていることに賛成ですか?

これを、あなたの得意な教科に当てはめると、同じことが言えると思いますか?

 少なくとも、過去10年ほど私が興味をもっている、読むこと、書くこと、話すこと・聞くこと、つまり国語には当てはまります。(ちなみに、国語は私の得意な教科ではありません。)そして、教科に固有なことなんて、いったいどれほどあるのかとも思わされました。扱う内容はともかく、少なくとも学び方・教え方に関しては!

 わが国において主流であり続ける教え方(=教師のシナリオ通りに行われる/唯一の答えが存在する/教師が学び続けていないので自信がないなど)は、オーストラリアが向かうべきだと主張している方向性とは逆さまな気がします。

 いったい、なぜそういう現象が起こり続けているのでしょうか?

 書かれてはいませんが、上記の3点の延長線上にあるのは、「評価はテストなどで測れるはずがない」ということです。従って、テスト以外の評価を中心に据えることが必然になります。

 少なくとも、国語の教科で効果的なライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップ(WW&RW)は、上記の3点と評価をしっかり押さえた形で行われています。

前回のテーマだった、①(年間)指導計画の作成、②教師のカリキュラム開発能力と授業力の向上、③子どもたちが主体的かつ活き活き取り組む授業の実践、④授業改善を阻む指導案+研究授業・研究協議に代わるものの実践、⑤「マヒ」や「思考停止」から抜け出す試みのすべてにも参考になるので(実は、学校経営やPLCという観点からも、WW&RWは極めて参考になるので)、近いうちにWW&RWを紹介する予定でいます。

 今回の書き込みに対する疑問・質問、意見、提案等がありましたら、下のコメント欄かpro.workshop@gmail.com宛にお願いします。

2012年10月21日日曜日

指導計画


 指導計画は、何をどう教えるかのプランです。
 以下は友人の教師が、指導計画の現状について説明してくれました。
「それは学校単位で作ることが明記されています。しかし、教育委員会や教科書会社はモデルを示してきます(その後ろには文部科学省がいる??)。そこまではいいのですが、学校は忙しく、先生たちも指導計画/カリキュラムを作った経験がないので、教科書配列をそのまま順守している学校がほとんどです。学校はそれをほとんどコピーペーストしてカリキュラムをつくり出します。つまり、学校によってカリキュラムに個性があるはずなのに、それがまったくない没個性的なカリキュラムができあがっているわけです。それが僕の印象です。もっと、個性的であっていいはずなのに」

 彼これ30年前になりますが、数人の教科調査官と親しくさせてもらっていました。その中の一人(高校の世界史担当)が、「例えば、フランス革命はいつ始まって、いつ終わったのか」という一つの質問で年間教えてもらっても一向に構わないのです」と言っていたことを今でもよく覚えています。しかし、そのあとに以下のようにも付け足していました。「日本の教育で一番欠けているのは、教師のカリキュラム開発能力かもしれません。養成課程でも、現職研修でも、それは扱いませんから」と。
 ここでいう「カリキュラム開発能力」は、教師の「授業力」とほぼイコールなものと捉えることができます。それは、例えば『奇跡の教室』で紹介されているような。


 教育委員会も、教科書会社も(そして、文部科学省も)良かれと思ってしているのでしょうが、結果的にはそれが画一化の原因になっていることはこれまでの歴史が証明してくれています。最も大切な教師のカリキュラム開発能力を無視したまま、教科書をカバーする授業(その大半は身につくことなく、テストのために暗記され、そして忘れ去られる運命?)が続いています。

出発点は「良かれ」なのですが……、実際に起こっていることは「悲劇」です。しかし、みんな「良かれ」ないし「当然」と思ってやり続けていますから、実際にしていることが「悲劇」とは思えません。その間、子どもたちの学びの質と量は極めて低いレベルに抑えられた状態が続いています。教科書をカバーする(=教師自身が心底必要性と面白さを感じていない)レベルの授業が子どもたちにとって楽しいはずはありませんから。こういう状態に数か月~数年おかれると、ほとんどの教師は「マヒ」状態というか「思考停止」状態に陥ってしまいます。以前、「蝶を蛾にする」文化をもってしまっている学校および教育システムと書いたことと関連します。


 このような悲しい状況を回避するために、
     学校独自の(年間)指導計画を実際につくっている事例
     教師にカリキュラム開発能力や授業力をつけてもらう試み
     子どもたちが主体的かつ活き活きと授業に取り組んでいる事例
     授業改善のために指導案を中心にした研究授業+研究協議に代わるものを模索している事例
     その他、「良かれ」や「当然」、「マヒ」や「思考停止」から抜け出す試み
などを、ぜひ下のコメント欄かpro.workshop@gmail.com宛お知らせください。

2012年10月14日日曜日

学校組織について


日本教育新聞(平成24108日号)に次のような記事が掲載されていました。
 

 「現場の本音」というタイトルで、ある民間人校長のコラムです。

 「当初、学校にはヒエラルキー型の組織が必要だと考えていましたが、今は違います。実は一般企業では、どんどん中間管理職を削っています。命令伝達のスピード化、経営効率の追求などが目的です。
  会社によっては、社長が直接、電子メールで、関係する社員に連絡します。担当取締役、本部長、部長、課長、係長と何層にもわたって伝達すると、途中で、情報に色眼鏡がかかる可能性もあります。そんな仕組をやめる会社が増えています。要は教育界で否定的に見られてきた「鍋ぶた型」組織に移りつつあるのです。・・・・」

 教委は一般に、民間人校長導入の理由として、「民間で培ったマネジメント能力を発揮して、組織化された学校経営を実現する」と言いますが、実は手本とする会社経営自体が変わってきているようです。

 私事で恐縮ですが、私の長男はある機械部品専門の商社に勤めています。そこでも事業ごとのグループ制を敷いています。グループ長は社長からの直接の指示で動き、中間管理職の数は非常に少ないそうです。

 昔の学校は校長が部下職員に対して「よきに、はからえ」で済んでいた部分もあったのでしょうが、今は校内のできごとの多くに対して校長が指示を出さなければならない場面が増えているように思います。
 

 私の現在勤務する学校は生徒指導面でそんなに苦労する学校ではありませんが、それでも毎日いろいろあります。生徒のけが、生徒同士のトラブル、親も巻き込んだトラブル、生徒の登下校の自転車の乗り方に対する苦情など、その対処法を間違えると、大きな問題になることもあります。

 <メルマガの続き>

私は事件・事故の最初の報告で、これは丁寧に処理したほうがいいか、ある程度担当者任せにしていいか、副校長と協議することにしています。その段階でおおまかな指示を出すことにしています。とにかく、早い段階で情報が管理職に届くことが重要です。
 
ですから、いつも「悪いことほど早く知らせてほしい」と職員には話しています。そして肝心なことは、報告がきたら、その場で職員を叱責したり、責めたりしないことです。この段階で叱責したりすれば、二度とその職員は情報を上げてこないでしょう。もし指導の仕方がまずかったりしても、やり方のまずいところは、後でゆっくりと指導すればいいのです。
 
 保護者との話し合いも、校長がすぐに出て行けば、解決が早いと判断したものは、面倒でも私が直接話し合いに出ることにしています。自分が出るか、任せるか、そのバランス感覚も非常に大切であると考えています。
 
そして、学校の対応がまずかったと判断できれば、すぐに謝ることにしています。これは、屁理屈をつけて、自己正当化しようとすると、簡単に収まるものも、こじれることを経験的に学んできたからです。こちらに手落ちがあったときの謝罪は早ければ早いほどよいのです。
 
1年ほど前に、個人情報の取り扱いについて配慮に欠けた対応になってしまったことがありました。そのときは、ある保護者からクレームがあり、事実確認をすると、こちらに非があることがわかりました。そこで、すぐに関係する学年の保護者あてに、謝罪文を出しました。
すると、そのクレームを寄越した保護者から、対応の早かったことに後日、感謝されてしまいました。そのとき、こうした問題の対処の仕方によって、保護者を批判者から支持者へ変えることもできるのだと、つくづく実感した次第です。
 
学校にクレームを寄越す保護者はそれだけ学校への関心が高いのだと考えることにしています。そして、排除しようとするのではなく、こちらの活動ややり方を理解してもらえるように、学校の諸活動やPTA活動に参加してもらうように仕組んでいくことも必要だと思います。これは前任校での話ですが、ある母親はわが子かわいさのあまり、些細なことが心配で度々、学校にクレームを寄越しました。このときは、そんなに心配なら、安心してもらえるように、授業参観日以外に学校の様子が気軽に見られるようにと考えて、「学校通信リポーター」という試みを実践してみました。
これは、学校通信(学校だより)の原稿を作ってもらうことを目的に、校内の授業を見たり、行事に参加してもらったりして、ボランティアとして活動してくれる方を募集するというものです。その母親にもこちらから参加を呼び掛けて、入ってもらうことになりました。
 
 
 年間に6回くらい活動したでしょうか。活動するたびに、その母親も先生方の努力の様子などが理解できたとみえて、最後には学校のよき応援団になってくれるまでに変化しました。
 
 この経験は今の学校経営にも生きています。かつての「学校評議員制」が発展した「地域協議会」という組織がありますが、現任校ではこのメンバーには意欲的な人たちが集まっています。
 
 私はこの人たちから出てきた建設的な意見は、検討してみて、「やる価値がある」と判断できたことは必ずやることにしています。
 すると、不思議なもので、一つがうまくいくと、また次のアイデアが出てくるものです。このようなプラスのスパイラルになったときは、実に気分のいいものです。そんな学校経営ができるように、今日もまた「次の一手」を考えているところです。
 


 

2012年10月7日日曜日

PLC便りの第2段階のスタート



 スタートしてから約1年後の「見直し」というか「振り返り」をしたことで、自分たちの大切にしたいことや目標を鮮明にすることができました。

 まず、私たちは「PLCを、教師の継続的な学びを通して授業改善と学校改善を実現すること」と捉えていますが、このことをこれまで以上に意識した情報発信をしていきます。

 2番目は、教師の継続的な学びを通して授業改善と学校改善を実現すること ねらいですから、単なる情報発信だけではそれが達成されないことも痛感しました。そこで、実際にアクションに移そうとする方をコンサルテーション/コーチ ング/カンファランス(+研修やワークショップ等)の形でサポートしていきます。目的の実現には、かなり密度の濃いコミュニケーションが不可欠と考えま す。
授業改善、学校改善および教師の学び(=教員研修)の分野で、ご自分の目標達成や悩みや課題の克服・改善のために相談してみたいという方は、pro.workshop@gmail.comに気軽にご連絡ください。ベストを尽くして相談に乗らさせていただきます。

3番目は、PLC(プロの教師集団として学び続けるコミュニティとしての学校)の輪を広げることに協力してくださる方を募ります。
「PLC 便りは参考になるから、読んでみたら」と、興味の持てそうな方にぜひ紹介していただきたいのです。そのためには、中身が紹介に値するものでなければなりま せん。まずは、より良い内容のPLC便りにするためのアドバイスをお願いします。(アドレスは上記と同じです。)


  <メルマガからの続き>


 今回のテーマ(やりたいことを実現する)に関連した情報提供は、The Knowing–Doing Gap(原題=知っていることと実際にしていることのギャップ)について書かれた本です。 

一度は、『変われる会社、変われない会社 知識と行動が矛盾する経営』というタイトルで出た本が、いまは『実行力不全 : なぜ知識を行動に活かせないのか』(ジェフリー・ペッファー他著、ランダムハウス講談社, 2005)で再刊されて出回っています。
 
  知っていることと、それを実行に移せないギャップは、学校だけでなく、多くの組織が抱えている問題です。優秀で勤勉な社員が揃っているのに知識を実行に移せずに業績が低迷している会社もあれば、平凡な人々が行動することによって成果を上げている会社もあります。いったいどこが違うのでしょうか? PLC(教師集団が学び続けるコミュニティとしての学校)づくりに参考になる本です。読まれたら、ぜひ感想等をお聞かせください(下のコメント欄かpro.workshop@gmail.com宛で)。 

  ちなみに、PLCづくりを考えた場合、教育書よりもビジネス書(や最近では動物行動学)など教育書以外の文献の方が参考になるかもしれないぐらいですから、ぜひアンテナの張り方をこれまでとは変えてみることをお奨めします。

  また、学校の場合は、「知っていること」だけをとっても英語圏で流通している情報量と日本語で流通している情報量には100対1とは言わないまでも、 100対2か3の情報ギャップがあります。これだけの情報格差が存在するのですが、逆に捉えれば2か3で今の教育レベルを維持しているというのはすごいこ とです。これが、4か5、さらには10か20になるだけでも、さらにすごいことになりますから。(しかし、今のままでは「衰退の一途」をたどることは確実 です。)
  それほど、英語圏の情報を知ることは大切であるということになります。フィンランドをはじめ北欧諸国やオランダなどが評価される教育を行っている背景に は、この豊富な情報量があります。なんと言っても、教師の9割以上が英語を解し、直接情報を入手して活かしていますから。(もう一つの理由は、すでに上で 紹介した知識を行動に移せる柔軟な仕組みを教育の各レベルで作り出していることです。)