2012年11月25日日曜日

ブッククラブに参加しませんか?


前回、野球やスキーや料理がうまくなった要因を紹介しました。(とても重要なので再掲載します。)

野球とスキー:
・継続した
・自分よりうまい人の真似をした
・うまいやり方をイメージして、それに近づけるように練習した
・自分自身ではわからないところを見てもらい、アドバイスを受けた
・もっと上達したいという気持ちがあった
・練習することが楽しかった
・家族や仲間がいた

料理:
 自分の興味・関心に合わせた選択を提供されているか?
  予想や計画が立てられるか?
  十分な時間が提供されているか?
  アドバイスをもらえる人や相互に助け合える環境が提供されているか?


 それではいよいよ、ライティング・ワークショップ(日本で実践している先生たちは「作家の時間」という名称を使っています)の紹介です。

 これは、1960年代から70年代にかけてアメリカやイギリスなどで子どもたちの「書く力」がいっこうにつかない(日本も、同じころから同じ悩みを抱え続けていますが、いっこうにその教え方は変わりません。それは「読む力」にも言えてしまいます。そして、他の教科にも)ということで、どうしたら書く力がつけられるようにできるかを模索した結果誕生した方法です。それは、単純に本物の作家がしていることを追体験するという方法です。

 本当に書く体験をしたことのある人はすでお気づきの通り、①何を書くかを決める(題材選び)が書くサイクルの8~9割の比重を占めています。各テーマが決まったら、②下書きです。最初から清書の一歩手前のようなものを期待するのは無理です。下書きはあくまでも「筆に書かせた」レベルのものです。(最初から構成を考えて、その順番に書くよりも、「筆に書かせた」方が思わぬものが出てきたり、自分でも気づいていない発見が出来たりと、書く醍醐味を味わえる重要なステップです。)下書きは思いつきのレベルですから、書くテーマを読み手に伝わる内容にするためには、③繰り返しの修正が極めて大事になります。(実際、子どもたちも自分が書きたい内容を伝えたい相手に書き始めると、この修正の段階をいとわなくなります。教師が「もうそろそろ仕上げたら」とアドバイスしても延々と直し続ける子どもも出てきます。)なお、この修正の段階では、プロの作家もするように編集者の目というか、他者(子どもたちの場合は、友だちや親や教師など)の目を通すことも奨励されます。内容的に納得した段階で、④校正に入ります。これは内容が読み手に伝わりやすいように文章を整えることです。そして最後は、⑤「出版」です。それには多用な方法があります。作家の椅子に座ってクラス全員の前で読む方法、クラス文集や教室便りなどに掲載されて各家庭でも読まれる方法、直接読んでほしい相手に届けられる方法、一学期に1回ぐらいは自分が書きためた中でベストを紹介し合う「作家の日」の催しなどです。いずれにしても、読んだ人からはフィードバック(ファンレター)をもらいます。

  <メルマガからの続き>


 これ(①~⑤)を図化すると、以下のようなサイクルになります。★


 従来(というか、いまもやられ続けている)作文教育との違いに気付いていただけたでしょうか? 興味のある方は、両者の比較をぜひ書き出してみてください。すでに書きましたように、同じことは「読むこと」でもできてしまいますし、他の教科でもできてしまいます。(私=吉田が考えた表を見てみたい方は、pro.workshop@gmail.com宛にメールください。)

 ライティング・ワークショップは英語圏を中心に1980年代の前半から行われるようになり、そのあまりの効果にその手法を「読むこと」に応用しようと思い立った人が、ライティング・ワークショップの特徴を分析したところ、①時間(十分に練習する)、②選択(書く題材や何を修正したり出版するか)、③反応(友だちや親や教師)、④枠組み(作家のサイクルと1時間の授業のサイクル)、⑤コミュニティ(「みんなが作家」という環境)が挙げられました。詳しくは、http://wwletter.blogspot.jp/2010/05/ww.htmlを参照してください。

 これは、野球、スキー、料理がうまくなるときの要因に似ているというか、ほとんど同じだと思いませんか?

 これだけ「宣伝」しても、なかなか理解してもらうことは難しいと思いますので、最後はお誘いです。タイトルにあるように、『ライティング・ワークショップ』を一緒に読んでみませんか? メールによる「ブッククラブ」という形式で。興味を持たれた方は、吉田=pro.workshop@gmail.comにメールをください。★★


★  ①題材の98~99%、②下書きの9割、③修正の3~7割、④校正の5%ぐらいは、⑤出版には至りません。それが作家のサイクルです。この数字を作文と比較してみると、面白いと思います。

★★ このブログを始める前にもう一人の書き手である白鳥さんたちとこの本を学校経営の視点でブッククラブをし、単に国語の授業改善のヒントが得られるだけでなく、他の教科の授業改善や教員研修の改善のヒントも得られることは証明済みです。
  さらに言えば、ライティング・ワークショップに取り組むことで、学校も含めた世の中でうまくやっていくために必要なたくさんのスキルが身につきます経産省が「社会人基礎力」文科省が「キャリア教育」として提唱している力のほとんどすべても身についてしまいます。

2012年11月18日日曜日

はるかに望ましい授業・研修のあり方


オーストラリアの理科教育への反応を、白鳥さんのを含めて、数人からいただきました。
その中の一つを紹介します。

毎回PLC便り拝読しております。
 今回記述の3点とも賛成です。
 特に
 興奮したり、発見できることが大事。
 唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動が大切。
 教師が学び続けることが大切。
 の部分に共感します。
 2007年の資料ということは,5年前にかかれたものということでしょうか。
 きっと今は実践が進んでいるんでしょうね。
 現在,本課では,問題解決能力向上のための授業デザインモデル,パフォーマンス課題とルーブリック評価を用いたパフォーマンス評価等の研究をしています。

 以下は、返信です。
メール、ありがとうございました。
オーストラリアは、私が最初に教育に足を踏み入れた1980年代の初頭からすでに、「教科書を使う先生は能力のない先生」と出会った指導主事が言っていたのでビックリしたことをいまでもよく覚えています。
「じゃ、教科書は何のため?」という私の質問に、「能力のない先生、自分で勉強しない先生のためにある」との答えでした。
その意味では、2007年に新たに言い始めたというよりは、長年言われ続けてきたことを、改めて強調したという感じだと思います。

その教科書も、1990年ぐらいには、私が1991年に訳した『ワールド・スタディーズ』という本をベースにしたものを社会科でつくってしまいました。
要するに、正解がない、生徒主体に学ぶ方法で教科書をつくってしまったのです。著者たちに聞くと、別に教科書をつくりたかったわけではなかったそうなのですが、オーストラリアは本のマーケットが小さいこともあり、生徒主体の学び方(興奮したり、発見できること 唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動を実現するには、その方が手っ取り早いと考えたからだそうです。

問題解決能力向上のための授業デザインモデル,パフォーマンス課題とルーブリック評価を用いたパフォーマンス評価等の研究をしています。
 これにも、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップがそのまま使えてしまうのですが・・・
    国語で? とお思いでしょうが、できてしまうのです。

  <メルマガからの続き>



日本の授業は、子どもたちが学ぶことよりも、教科書に書いてあることをカバーする(教えること)が優先されています。「学ぶ」ということを吹っ飛ばして、「教える」ことが横行している状態にある、とさえ言えると思います。それが、子どもたちがよく学べない最大の理由です。そこで、「学ぶ」とはどういうことかを考えていただいたわけです。

いくつかいただいた反応の中に、以下のものがありました。
野球とスキーがそれなりうまくなった理由
・継続した
・自分よりうまい人の真似をした
・うまいやり方をイメージして、それに近づけるように練習した
・自分自身ではわからないところを見てもらい、アドバイスを受けた
・もっと上達したいという気持ちがあった
・練習することが楽しかった
・家族や仲間がいた
などを思いつきました。

共感できる方は、多いのではないでしょうか?

私が、いい学校のつくり方を書いた『いい学校の選び方』(中公新書)の中で紹介したのは、料理がうまくなった先生の事例です。
       料理を学ぶことは自分が選んだ。興味があった。やる気になっていた。
       どうしたらいいか、それなりの予想がついていた。計画が立てられた。
       誰も私を急かせる人はいなかった。十分な時間をかけることができた。
       料理のうまい人たちを何人か知っていて、アドバイスをもらうことも含めて、その人たちとのやり取りを楽しんだ。

ちなみに、この先生の場合、自分が料理の作り方がうまくなった要因を書き出す前に、子どもの学びに必要なものについても書き出すように言われていたのですが、ほとんど書き出せませんでした。しかし、自分のことについてはスラスラ書けてしまいました。そして、その違いについて考えました。年齢に関係なく、私たちも子どもたちも両方が学習者でありながら、なぜ与えられている条件がこんなにも違うのか、と。そして、子どもたちは、
       自分の興味・関心に合わせた選択を提供されているか?
       予想や計画が立てられるか?
       十分な時間が提供されているか?
       アドバイスをもらえる人や相互に助け合える環境が提供されているか?
と。
以上は、この本の133ページに書いてあることです。

この先生が発見したことは、まさに「目からウロコ」としか言いようがありません。学校で行われている学ぶ/教えるという極めて当たり前の行為が、実は「人はどう学ぶのか」という基本的なことを踏まえることなく日々展開されている、という事実を浮き彫りにしてしまったのですから。

皆さんは、「人はどう学ぶのか」という基本的なことを考えられたことがありますか?
上で紹介したこと以外に、何か大事な要因を考えられますか?

このことがライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップとどう関係するのかまで紹介したかったのですが、長くなってしまったので次回にします。

今回のテーマに関連するようなご意見・ご質問は、下のコメント欄かpro.workshop@gmail.comぜひお寄せください。

2012年11月11日日曜日

小中一貫教育を考える


ここ数年、小中一貫教育を施策として取り入れる自治体が全国的に増えています。

私の勤務する地区でも、今年から市内全校での本格実施となりました。

 

まだ一年経過していませんので、全体的な評価はできませんが、ここまでの感想を述べます。

 メリットは、小中学校教員が相互に訪問する機会が増えて、お互いにどのような教育をやっているのかが、以前よりはよく見えるようになったということです。これまでは、確かにすぐ傍にある異校種の学校にどんな教師がいるのか、どんな教育活動をしているのかはほとんど見えてきませんでした。そのあたりを自覚して、小中連携を意図的に取り入れてきた学校(地区)は素晴らしいと思います。

 また、小中の9年間を一体のものとしてカリキュラムを考えたり、「教育の質保証」を考えたりすることは大切なことです。


 この小中一貫教育では、不登校対策等もその目的に含まれることが多いのですが、そこはそんなに簡単な話ではないと思います。「中1ギャップ」とよく言いますが、小学校と中学校のシステムの違いや学習内容などがその要因に挙げられています。確かに、教科担任制や定期試験など、中学校に入学して初めて出会うものがいろいろあります。ただ、それらによって不登校が引き起こされているとするのは、一面的な感じがあります。


 ここ数年の経験では、次のような傾向が見られます。

小学校時代に欠席がちの生徒は、中学校に入学して、夏休み前まではその多くがなんとかこれを機会にがんばろうという気持ちで、ほとんど休まずに来ることがあります。

しかし、夏休みを過ぎると、休みがちになり、そのうちほとんど欠席する傾向があります。これは、一つにはやはり学力問題が深く関係していると思います。小学校時代に欠席がちの生徒は学力面でも他の生徒よりも到達度が低く、授業そのものが理解できないということが多く見られます。やはり、授業がわからないというのは、だれにとっても苦痛なことです。きっかけは、友人との人間関係のつまずきだったりすることがありますが、その本当の要因は「学力問題」ではないかと考えます。

そう考えると、不登校生徒を減らすためには、少なくとも小学校卒業までに習得すべき学習内容をできる限り「おおむね満足」のレベルに引き上げることが重要です。そうだとすれば、小中一貫教育も、そのあたりに人もお金もかけるような方策が一番効果的と言うことになります。中学校の教員がたまに小学校に出かけて行き、授業をやってもそれで「学力向上」という成果はあまり期待できないということです。

中学校教員が小学校の学力向上に協力するという理念には大賛成ですが、それをやるには今の中学校は忙しすぎます。いろいろな○○教育が様々なところから要請されて、それをこなしていくだけでも大変な労力です。それにプラスして、「部活動」です。この部活動が今のように教員のボランティアによって支えられているにも拘わらず、そのことが正当に評価されていない現状は、いかにも日本的なことです。

そのあたりの整理がなされるには、まだしばらく時間がかかるでしょう。

それまでは授業以外の様々なことはできるだけ取捨選択して、できるだけ授業に優先して職員が向かい合えるような体制作りを管理職がやる必要があります。


今回のテーマに関連するようなご意見・ご質問など、pro.workshop@gmail.comぜひお寄せください。

2012年11月4日日曜日

先週の記事についてのコメント


先週の吉田さんの「オーストラリアでの教育の動き」について考えてみたいと思います。


「学校における理科教育に大切なことは3つある。

    理科教育は、教師(教科書)のシナリオ通りに行われるべきではない 〜 興奮したり、発見できたりすることこそが大事。

    唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動が大切 〜 生徒たちは自分の身のまわりの世界について理解し、重要な問題について考え、そして意思決定ができるようにしてあげるべき。

    子どもたちの学習材と同じレベルで教師が学び続けることから得られる自信が大切である。」


以下は、それぞれの項目について私が考えたことです。


     これは問題解決型・課題解決型授業、プロジェクト型授業の提言です。これは、教師が教え授けるという旧来の授業イメージしかない人にとっては、「基礎・基本」が大切であって問題解決など、「後回しでいい」という発想しかないようです。でも、その両方をバランスよくやることが今のわが国の教育に求められているものだと思います。例のPISA2003ショックによる学力向上の全国的な流れから、ドリル学習やらプリント学習ばかりがもてはやされた時期がありましたが、この国の特徴として、どうもどちらか両極に振れ過ぎることが欠点だと思います。


     「意味が感じられる」というのも、大きな課題ですね。

これまでは吉田さんがよく言われるように、教科書をカバーする授業ばかりでしたので、「なぜ学ぶのか」という必要感や自分の生活に身近に感じられるということが少なかったと思います。

 以前、中学校教育研究会、いわゆる中教研(理科)の県大会で、私の所属する地区が研究発表をする割り当てになった年がありました。そのときに、研究テーマをどうするかという話し合いをして、この「学ぶ意味が感じられる」ということを取り上げることにしました。その「意味が感じられる」という一つの方向として、「日常生活に関連があること」「自分たちの生活に身近なもの」を教材とすることに取り組みました。

 ほぼ半年間、このテーマで様々な教材を作りました。その結果、生徒はどう変わったか。やはり、以前より理科の授業に積極的に取り組む生徒が増えました。アンケート調査などでも、「理科が好き」と回答した生徒の割合も増えました。これは、「学ぶ意味が感じられる」ということがそのような変化を生み出した直接的な要因だと思います。そうなると、物事はうまい方向に働いていくもので、その後「科学クラブ」が設立されたり、そのクラブ員たちが「ロボットコンテスト」に参加したりして、全国でも優秀な成績を収めて、海外の大会にまで参加するようになりました。このような地道な種まきが結局はよい教育を支えるのだと今でもそのことを思い出します。�の「学び続けられる教師の自信」も今のことに関連しているのですが、当時の私以外の担当教師のなかに、この取組以降、次々といろいろな財団の研究助成を自分から見つけてきて、積極的に応募して、自分の勉強を継続させていく人が出てきました。それによって教師としての自信も一段と深めることができたのではないかと思います。このことも、実にうれしいことでした。


 校内研修も「研究授業/授業研究」以外のスタイルを取り入れるという話が以前ありましたが、放課後の時間にゆとりがなくなっている今、各自が時間を見つけて、数人規模での学びを続けていくことがますます求められていると思います。


 知り合いのある大学の先生が、学校訪問の感想を次のようにおっしゃっていたことがありました。

「これは憶測にすぎませんが、先生方は、教科書に書いてあることをしっかり説明できれば仕事の大半は終わるのという感覚なのでしょうか。だから、自分で教材を探し、自分のメッセージを込めて生徒たちと向かい合うなどいう経験はほとんどないのかもしれません。それでは、この仕事は何ともつまらないと思うのですが。・・・・」


 「教科書に書いてあることをしっかり説明できれば仕事の大半は終わるのでしょう」

 まさに、ここに問題があるわけですね。

 ここを転換していくことが、どんな教育改革よりも優先されると言ったら、言い過ぎでしょうか。


前々回の吉田さんの記事にありました

・学校独自の(年間)指導計画を実際につくっている事例

・教師にカリキュラム開発能力や授業力をつけてもらう試み

・子どもたちが主体的かつ活き活きと授業に取り組んでいる事例

・授業改善のために指導案に代わるものを模索している事例

・その他、「良かれ」や「当然」、「マヒ」や「思考停止」から抜け出す試みなど



ぜひ、白鳥ないし吉田(pro.workshop@gmail.com)にお知らせください。