2012年12月14日金曜日

教科書をカバーする授業、研究発表(校内研修・研究)、そして選挙


  これらに共通するものは、何だと思いますか?
 (16日が選挙なので、今回は少し早めの投稿です。★)

 以下は、ある人が輪読会とブッククラブを比較して言ったことです。

「輪読会は、型文化の形骸化のように思います。型を守っているからできているように思っているわけですけど、形ばかり真似て、中身がスカスカ。まるで、素人が空手家の技を真似ているだけのような感じがします
この「中身がスカスカ」(①)は、ひたすら教科書をカバーする授業、研究発表(校内研修・研究)にも言えてしまうことではないでしょうか? そして、今回も含めたすべての選挙にも。中身を濃くしていくことが求められているのに。続いているのは、やった振りばかりです。

 他にも、共通点がたくさんあります。

 ②聞こえはいいけど空虚な言葉がいっぱい、③イベント、④主役の逆転(あいまいさ)など、です。

 ②の「聞こえはいいけど空虚な言葉がいっぱい」は、特に研究発表と選挙に顕著です。

 3つの悲しい現状は、③の一過性のもの(イベント)だからは許されてしまっているのだと思います。理解していなかったり、できていないなら授業や研修は続ける、自分たちが本当に満足するレベルになっていなかったら研究発表会は延期ないし断念する、そして選挙(有権者との関係)に関しては4年の一回(2週間程度)のイベントではなく継続的な関わりこそを構築する必要があります。しかし、現状はすべて長期間の関わりを放棄しています。できるだけ関わらないことを選択しています。

 ④の「主役の逆転(あいまいさ)」は、授業と選挙の方が接点は大きいかもしれません。授業も選挙(政治)も、本来は子どもたちや有権者こそが主役であるはずなのですが、実態は教師や政治家が主役であり続けています。校内研修・研究の場合は、主役は「なし」が現状でしょうか? 研究発表は、主役が実践する教師たちではなく、子どもたちや来訪する参観者たちに設定された時に、今までとは違ったことが起こり始めるはずです。

 共通点、他には考えられるでしょうか?


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 ⑤楽しんでやっているというよりも、イヤイヤというか、できれば避けたいものであり続けています。
 楽しめていないものや苦役としての取り組んでいるものから得られるものは「ない」とは言い切りませんが、楽しんでしていること、意味を感じ、熱中でき/成長し続けられるものからの方がはるかに得るものは大きいし、かつ多いです。

 ⑥当事者たちのやる気や情熱(や愛)はどこまで伝わってきているか?
 教科書をカバーする授業の授業者およびそれを受けている子どもたち、校内研修・研究(発表会)をしている教師たち、そして「清き一票」を訴えかける候補者から、どれだけのやる気や情熱(や愛)が伝わってくるでしょうか?

 他にこれらの共通点を考え出された方は、吉田(pro.workshop@gmail.com)までぜひ教えてください。
あるいは、3つ以外に共通点が見出せるものはあるでしょうか? たとえば、職員会議や学校経営や教育センター研修、そして教育制度そのものも、①~⑥は共通に抱えている問題ではないでしょうか?

型文化の形骸化に陥って中身がスカスカなものは、どんなに努力をした(時間とエネルギーを注ぎ込んだ)ところで、スカスカなままです。おそらく「型」自体を変えない限りは。
まずは、効果が検証されていない「習慣」から脱却することが求められています。
そして、より望ましい/受け入れ可能な改善案は確実にあります。これまで慣れ親しんできた方法よりもはるかに望ましい他の方法が。
たとえば、
授業のあり方として、作文教育に変わるライティング・ワークショップ(作家の時間)、読解教育に変わるリーディング・ワークショップはすでに紹介していますが、これらのアプローチは他の教科でも使えます。学校経営にさえ。
校内研修・研究のあり方としては、指導案検討/研究授業型に変わる「子どもたちが教科学習を楽しみかつ理解していることの証明(証拠品)」を持ち寄って話し合う方がはるかに効果的です。


★ 選挙の場合は、たとえ投票したからといって、何もよくなるとはほとんどの人が思っていません。政権公約(マニフェスト)を聞いて、期待を膨らませて投票する人もいるのかもしれませんが、政権をとってから見せられ続けているのは「改悪」ばかりです。(期待をもち続けるのは、その体験をまだ自分のものにできていない、おめでたい人たちと言えるでしょうか。その人たちの票が、自民から民主、民主から自民への揺さぶりの原因にもなっていると言えるかもしれません。)

嘉田さんは選挙演説の中で「いまのままでは選挙できる政党がないので、急きょ立ち上げました」と言っていました。しかし、その状態は日本未来の党が結党されても、まったく変わっていません。私たち有権者は、真の選択肢を提供されているでしょうか?

授業や研修・研究が変わらないのと同じで、選挙という「型」にこだわり続ける限りは、日本で政治が変わることは期待できないような気がしています。悪くなること以外は。

ちなみに、各政党が教育分野の政権公約として掲げているか(掲げていないか)を比較するだけでも、いろいろなことが見えてきます。いずれにしても、保守派の政党は教育現場にとって極めて危険であることはこれまでの経験が証明してくれています。同じレベルで何もしなかった/できなかった革新派(民主党は「革新」とは言えない!?)も問題ですが。要するには、「教育現場のニーズに応えてサポートをする」という発想自体を政党や官僚や、少なくとも中教審にかかわる学者たちはもっていないということだと思います。
 

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