2013年2月24日日曜日

あるセミナーに参加して


昨日、友人と二人で、東京のある教育セミナーに参加しました。

10時少し前に、会場について受付を済ませ、私は「理科」の分科会に参加しました。

その分科会の参加者は30名ぐらいだったでしょうか。

中には、函館から来ていた小学校の先生がいました。

 

理科の研究会に出るのは、久しぶりです。

東京の小学校の先生方の研究発表でしたが、発表者3人のうち、2人は若い人でした。

まだ、経験も浅いでしょうから、質疑応答も四苦八苦していました。
でも、若いというのは、いいですね。どんどん新しいことに挑戦してもらいたいです。

 

最後に、文科省の教科調査官から講評と短い講話がありました。

12月に発表されたTIMMSという国際理数調査の結果を引き合いに出して、日本の理科教育は決してその力は落ちていないと強調されていました。

私もこれだけ環境のよくない中で、日本の教師は頑張っていると思います。もっと、現場がやる気を出すようにあまり、上からああしろ、こうしろと言わない方がいいと思いますね。

 

講話のなかで、理科は自然の事物を対象にしているので、できるだけ観察・実験に時間をかけて、やってほしいと話されていました。その通りなのです。理科は「教科書」を読んで、説明して終わりでは、何も身につかないのです。
中学校でも、きちんと実験をやらないで、黒板で説明して終わりという授業をやっている人が未だにいるようです。確かに、準備は手間がかかるし、教科書を読んで終わりのほうが楽なのです。でも、理科はそこを手抜きしてはいけないのです。だから、小学校で理科が好きな子どもも中学校2年くらいで理科嫌いになってしまいます。その解決には、教師にゆとりが必要ですね。

 

今月は結局、毎週土曜日東京に来て、セミナーや研究会に参加しました。トータルで5万円はかかりましたね。でも、それに見合うだけの収穫がありました。

また、今回は気の合う友達と行けたので、行き帰りも教育に関する様々な話をして、あっという間に目的地に着いたような感じでした。この友人とはもう30年来の付き合いですが、20代のころ同じ学校に勤務して、いつも遅くまで学校でいろんな話をしながら、次の日の授業の準備をしていた懐かしい思い出があります。やはり、持つべきものは友です。

2013年2月17日日曜日

教育の情報化について


昨日、教育情報化に関連するフォーラムに行ってきました。

その中で、学校のホームページ運営や校務の情報化について話を聞きました。

 

学校のホームページがどれくらいの頻度で更新されているかという調査結果が紹介されていました。なんと、およそ60%の学校は週1回も更新していないようです。反対に、週に4回以上更新している学校は全体のわずか7%だそうです。自分の学校はどうなのかと考えてみると、だいたい週1回です。今回のフォーラムの主催団体に所属している人たちの学校はほとんど毎日更新しているぐらいのレベルのようです。

 

 その主催者の一人が、ある地区の中学校長会研修会に講師として呼ばれたときに、校務の情報化の一つとして、このホームページ更新の話をしたそうです。この方は、ある中学校の現職校長でもありますが、学校の中でホームページ運営を自分が中心になって行っています。
 

 そのことを校長会の研修で話すと、研修後のアンケートのなかに、「ホームページ運営は校長がやるべきことなのか」という批判が一つあったそうです。

 「校長がそんな仕事までやるべきでない」「係りに任せればいい」という考え方の校長はかなりの数いることでしょう。私の地区の校長さんたちもそういう考え方をしている人がかなりいることを知っています。

 私は、情報発信、あるいは地域とのネットワークづくりの大切さが言われている今日では、校長こそ「ホームページ運営」の中核を担う必要があると思っています。ホームページで不適切な表現を使ったり、著作権や肖像権を無視した内容を提示したりしたら、それこそ学校の信用は大幅にダウンします。それだけ、重要なものだと思います。だからこそ、校長が積極的にかかわる必要があると思います。

 

 今日のフォーラムで学んだことが一つあります。
 それは、学校のホームページは外部の人に見てもらうだけでなく、内部の職員にこそ見てもらい、それを経営に生かす方略もあるのだと言うことです。つまり、「校長室だより」に書いたことが職員へのメッセージにもなり、学習指導や生徒指導の方向性を示すのに大切な役割を果たしてくれるということです。
 また、いろいろな授業風景を写真入りで紹介することで、先生方相互の研修のきっかけづくりや情報提供にもつながるということです。ということは、ホームページも使い方一つで、校内研修、職員研修につなげることができるということです。これは発見でした。

 往復の新幹線運賃と参加費を含めて、13,000円かかりましたが、それだけの価値はあったと思います。

 

2013年2月10日日曜日

教師間の「協力」が学校を変える


 昨年12月はじめの「互恵的な関係」の記事以来、教師同士の協力関係について、考え続けています。
 もう大分前になりますが、月刊・高校教育という雑誌に「教師間の“協力”が学校を変える」というタイトルで原稿を書いたことがあります。

 その内容をここで書きなおすことはしませんが、唯一、表だけを紹介します。


  (出典: 月刊・高校教育、2004年9月号、65ページ)


 圧倒的多数の教師が体験しているのは、①気楽な協力と②制度的な協力だと思います。
 でも、①と②だけでは、生徒たちの学びも、そのベースとなる教師の学びも得られません。

 ③を体験している教師は、どれぐらいいるでしょうか?
 そのための環境や動機づけはあるでしょうか?
 スキルや方法を身につける機会は提供されているでしょうか?

 ③建設的な協力には「批判的」★「振り返り」「不協和音を歓迎」「波風を立てることが前提」「隠された事実★★を暴き出す」などがキーワードになっています。こういったところからこそ、教師が学べるのではないかと思って、書きました。

 もちろん、80/20のルールで紹介したように、常に③ばかりを使う必要はありません。8割がたは①か②でいいのです。習慣の維持・継続でいいのです。そうでないと、疲れますから。しかし、大切な2割ぐらいは③で取り組まないと、何も変わらない、何も学べない、何も成長しないが続いてしまいます。


★ これは、クリティカルの直訳ですが、いまなら「批判的」とはせずに、「大切なこと(を選び出す力)」としたいです。「鵜呑みにせず、習慣にも流されず」に「何が大切かを見極めることの大切さ」です。
★★ これも、「隠された事実」よりは「疑うことなくやり続けている習慣」の方が分かりやすい気がします。

2013年2月3日日曜日

教師の協力関係


 教師相互のコミュニケーション、信頼関係、協力関係をいかに構築するか?


 皆さんは、どうお考えですか?


 実際、どんな努力をされていますか?


 どんな方法が効果的だと思われますか?



 ブッククラブをやってみるのは、一つの方法ではありますし、その他にもいろいろな方法を『効果10倍の学びの技法』などで紹介しましたが、最近思うことは、教科書をカバーする授業からの脱却です。★各教師が教科書をカバーする授業をしている限りは、教師間のコミュニケーションも信頼関係も協力関係も構築できない気がするのです。

 文科省が言っているようにいろいろな教材の一つ(それで不満な人には、「主たる教材」)と位置づけない限りは。★★ 教科書を教え続けるということは、教師が学んだり考え続けたりすることを放棄しているようなものですから。

 生徒たちにとっては、教科書はその教科の百科事典のような存在になっています。すべての答が書いてあると言う意味で。従って、自ら進んで読みたがる存在ではありません。教師も生徒もが、深く考えられる/何回も読みたがる/教科書よりもはるかにいい文章で書かれている読み応えのある読み物を用意する過程で、教師間のコミュニケーション、信頼関係、協力関係は築けます。今の時代、教科書よりもはるかに読み応えのあるあらゆるジャンルの読み物が各教科で揃えることができるのですから。


★ それができない限りは、教科書という極めて特別なジャンルに得意なごく少数の子たちを優遇する学びしか提供できないのが学校/授業ということになります。9割方の子どもたちには、その教科が嫌いになる場としての授業です。

★★ 教師が、教科書教材を「ほどほどのレベル」「しかたなく」「がまんして」使っていると、すぐ生徒たちは感知してしまいます。生徒たちには、教師がベストと思うものしか使わないようにしないと、失礼です。そのためにこそ、教師相互のコミュニケーションと協力が役立ちます。他の目的のためのコミュニケーションと協力はすべて二義的なものです。

★★★ 「教材」は、あくまでも教える側、指導要領をカバーしてもらう側に都合よくできたもので、学ぶ側にはとって難解なもの、読めないもの、苦役の象徴というイメージがつきまといます。その意味で「学習材」ないし「学習資料」に発想を切り換えていく時に来ています。その中に教科書も含まれてもいいのですが、あくまでも百科事典と同類の位置づけの気がします。子どもたちが進んで読みたくなるようには書かれていませんから。