2013年4月28日日曜日

大学の大衆化



先日、帰る途中に書店に立ち寄ったところ、「大衆化する大学」という本を偶然見つけました。これは、岩波書店から発行されている「シリーズ大学」の第二巻にあたります。
 

 このなかで、「マージナル大学における教学改革の可能性」という論文に目がいきました。ここでいう「マージナル大学」とは、偏差値で輪切りにされた個々の大学を指すのではなく、あくまでも「非選抜型大学」(非選抜とは、AO入試や推薦入試により一般的な学力試験を経ずして入学する学生が多くを占める)において生じている、これまでの伝統的な大学・学生像の範疇に入らない「周辺部」において生じた変化をとらえる概念として、著者の居神 浩(いがみ こう・神戸国際大学教授)さんが提唱したものです。私は言いえて妙のネーミングです。

 

 私が今月から働き始めた大学も、どちらかと言えば、このマージナルのほうに属する部分があると思います。非選抜型で入学する学生が全体の3〜4割ぐらいとのことなので、はっきり言って受験勉強はしていません。まあ、受験のための勉強などやっていたからどうだというわけではありませんが、ただ、高校生時代、あるいはもっと遡って、中学校時代、小学校時代に「よい学び」を経験していない学生が多いのも事実です。

 ですから、学びへの意欲、モチベーションが低い学生が少なからずいることもまた否定できない事実です。

 

 先ほどの居神さんの論文でも指摘されていることですが、学力面で困難を抱えていたり、無気力で生気を感じられなかったりする学生を「よき職業人」「よき市民」に育て上げるためには、大学の組織を挙げての教学改革が必要だという点については全く同感です。それには、大学教員同士の「協同」が必要になるという指摘ももっともだと思います。ただ、それを実現する道のりは決して平たんなものではないでしょうが。

 

 大学の授業は基本的に担当教員に任されている部分が大きいので、同じタイトルの科目でも、全く異なるアプローチから展開していることも珍しいことではないようです。これまでの「研究者」としての位置づけが「教育者」としてのそれよりも優先されてきた歴史的な部分もあるかと思いますが、当然のこととしてこれからは「教育」と「研究」の両輪がうまく回っていかないといけないのでしょう。
 

「学びの共同体」の話をこのブログでも1年以上にわたって取り上げてきていますが、大学こそ「学びの共同体」を志向しなければならない存在であると感じます。

2013年4月21日日曜日

大学での学び


この4月から私立大学の教員に転職しました。

これまでとは全く違う仕事で面食らうこともありますが、何もかもが新鮮です。

 

自分が学生のころとは全く環境は違うと思いますが、学ぶことの面白さを追究できるのは何ともうれしいことです。私が所属する学科は小学校教諭と幼稚園教諭を目指す学生がほとんどですが、途中で方向を変えて、企業に就職する学生もいます。

 

さて、まず大学の教育ですが、最近は大学もFD(Faculty Development)と言って、授業改善にも力を入れ始めているようですが、どの程度のものなのか、幸いにも学内のFD委員になったので、そのあたりをしっかり見ていこうと思っています。
 
私の担当している授業のなかで、25人のクラスがありますが、このくらいのサイズだと一人一人とうまくかかわって学びのサポートがある程度できると感じています。ところが、50人を超えるクラスではなかなか双方向は時間ばかりかかってどうもうまくありません。一方通行の授業ではなく、なるべく学生主体の授業プランでいきたいのですが、まだまだ工夫の余地があります。

 

最近、つくづく思うのですが、「よく学べないのは学び手の責任ではなく、教えての責任だ」と思うところから、よい授業づくりがスタートするということです。学校での校内研修などでの授業改善では、まずこのことを自覚することが出発点だと思います。

かつて、佐藤学さんが「学びからの逃走」と指摘したように、教科書だけに依拠した従来型の授業では、この授業から逃走してしまう(現実には教室から逃げ出さないまでも、心ここにあらずで、ただそこにいるだけという)状況を変えることは不可能でしょう。

 

先週の吉田さんの指摘にもあるように、よく学べるようにするためには、教師がよいモデルを示すこと、またそのような授業形態を作り出せること、そのことが最大の目標になるのだと思います。

私自身も、決して学びに意欲的でない、どちらかというと、学びから逃走しようとしている学生たちにも、学ぶ面白さを教えていきたいと思いますし、自分自身もさらに学んでいきたいと考えています。

2013年4月14日日曜日

発想/視点を変える


 以下のようなメールを年度末にもらいました。

御無沙汰しています。ついついメールを読むだけになっていますが、この前の職員室の話は、私の中にそういう発想が全くなかったので、大変新鮮でした。
 ところで、長い間お世話になりましたが、この3月で定年退職することになりました。

 私からの返信は、「無事の退職、おめでとうございました」としか、書きようがありませんでした。

 視点をちょっと変えてみられさえすれば、職員室だけでなく、テスト、成績、通知表★、学校の教育目標、時間割、教員研修、研究協議、部活など、おかしなものがゴロゴロころがっているのが学校です。
そういえば、このブログの最初の方でも学校が抱える課題(私が学校や授業に関わる過程で感じた違和感)は紹介していました。

 毎日とは言いませんが、週に一回10~15分は、異なる発想/視点から学校を見られる時間を確保してみてください。(最初の5~10分は難しいかもしれませんが、最後の2~3分にできるようになる可能性大です。)

 それでもなかなか発想/視点の転換ができないという方は、いろいろな人に本気でインタビューしてみる時間を週に30~1時間確保することをオススメします。最初は、教職員や生徒たちで充分ですが、徐々に学校関係者以外に輪を広げていってみてください。
 「本気で」と書いたのは、そうじゃないと、ほとんどの人は「聞きたい話しかしてくれません」から。こちらからシツコク本音を言ってもらえるように迫らないかぎりは。

 ちなみに、このインタビューという方法は、『「学び」で組織は成長する』(光文社新書)のなかで紹介した22の方法の一つです。極めて単純かつ簡単な方法なのですが、個人が、そして組織が成長するのに使われていません。もったいないです。ぜひ試してみてください。


★ これら3つは、評価と置き換えられます。
  でも、評価をテスト、成績、通知表と捉えているかぎりは、子どもたちの学びの質や量は極めて低いレベルに止めたままになります。それらが、子どもたちの学びを改善するのには役立ちませんし、ましてや教師の授業を改善するきっかけにもなりませんから。
  詳しくは、『テストだけでは測れない!』(NHK生活人新書)を参照してください。

2013年4月7日日曜日

今年1年で私が成長したと言えることは?


 新しい年度がスタートしました。

 今年度末にあなたが「自分で成長したと言えることを何に設定しましたか?」
 管理職や指導主事の方は、上の質問に加えて、「学校でよくなったと言えることを何に設定しましたか?」
 両方とも、自他共に認められること、です。
 自己満足のレベルでは意味がありませんから。
 さらには、文科省や教育委員会が喜びそうな建前でもありません。
 本気で、自分が実現したいことです。

 そのためには、「何」は自ずからかなり絞られると思います。これまでにも繰り返し書いてきたように、いろいろやり過ぎる(あるいは、単にリストアップする)ことは、結果的に何もしない/できないことへの「一番の近道」ですから。

 自他共に認められるようにするためには、誰かに「公言」しておくといいでしょう。
 それが、先延ばしを防ぐけっこう強力な防波堤になってくれますから。(その際、3か月、半年、9か月後に進捗状況をチェックしてもらえるようにもお願いしてください。)

 そこで、私の「何」を「公言」します。


 <以下は、メルマガからの続き>


     このメルマガを書くことを通して、これまで以上に学校での「大人の学び(方)」についての考え/情報収集し、よりインパクトのある情報を提供していけるようになること。これが、カバーする領域はあまりにも広いのですが、基本的には「プロとしての教師が自分の力量を向上する」ために必要なこと、と捉えています。
(同じことは、他の2つのメルマガ/ブログにも言えます。WW&RW便り」を通して、これまで以上に読み・書き教育について考え/情報収集し、インパクトのある情報を提供することと、「ギヴァーの会」を通して、これまで以上に『ギヴァー』が扱っているたくさんのテーマに迫まり、情報発信していくこと、です。なお、前者のWWとRWでは、これまで3冊の関連した本を出してきていますが、4冊目=『リーディング・ワークショップ』の日本での実践版を出版することでも、確実に成長し続けられます。★)

     前回のメルマガで白鳥さんが紹介してくれた『テストだけでは測れない!~人を伸ばす「評価」とは』(NHK生活人新書)が残念ながらすでに絶版になっているので、その改訂版を出すことを通して、評価についてさらに成長します。そのために、去年の夏から過去6年ぐらいに出た本(すべて英語)を読み始めていますが、すでに相当の収穫があります。英語圏では日進月歩ですが、日本の評価は停滞が続いています。★★

     最後は、個人的なプロジェクトですが、これは、上記の「ギヴァーの会」がきっかけでスタートしたもので、「鶴見俊輔ブック・プロジェクト」です。あの「思想の科学」とべ平連の中心人物の一人です。★★★今は自称「ボケ老人」の。鶴見さんが書いた本はもちろんのこと、彼が紹介している本は全部「チェック」しよう(中には、読めないのもありますから、「読む」とは書きません。しかし、ほぼ全部に目は通す)というプロジェクトです。本人が書いている量は半端じゃないのですが、紹介している量はさらにその数倍です)すでに、今年の1月から始まっていますが、おもしろすぎてたまりません。これまでは読めなかった(日本語でも、英語でも)デューイについても、極めてわかりやすく書いてくれていました。しかも、彼の本が読めない理由まで。)


★ なお、私は国語の人間ではありませんから、読み・書きにこだわる気はまったくありません。もし、このWWとRWのアプローチを他の教科で試してみたいという方がいたら、ぜひ連絡ください。すべての教科でできるアプローチです。「学びの原則」や「人はどんな時によく学べるのか」を押さえ、かつ「その分野のプロになる体験を通して学ぶ」方法ですから、確実に好きになりますし、身にもつきます。

★★ いつまでも、従来の評価観(テストと通知表に代表される)を「死守」していては、子どもたちの学びの質と量は極めて低いレベルに抑えたままが続きますし、教師の教え方の質も向上しません。

★★★ ちなみに、私が鶴見さんに出会ったのは、『日本人の世界地図』と『ひとが生まれる ~ 五人の日本人の肖像』の2冊が出た年ぐらいでした。(べ平連や思想の科学関連も含めて、それ以降はほとんど読んでいませんでした。)鶴見さんとの再会は、一月に『教育再定義への試み』を読んだことでした。彼が76歳のときに、13人の中学生たちとサークル活動をしてまとめた3冊の本も、このメルマガのメンバーの方々には特にオススメです。