2013年6月30日日曜日

教師塾について


最近、ある大学生と話をしたとき、「○○教師塾」の話題になりました。その学生も大学からの推薦を受けて、○○教師塾に行っているのですが、「先生、あの○○教師塾をどう思いますか?」と聞かれました。

 私は、「基本的に私の考えている方向性とは真逆だね」と答えました。
 

 ○○教師塾は近年、自治体の教育委員会が自分たちの管轄する学校に優秀な教師を送り込むために、大学などの養成機関とは別に自前である程度教育しようとするねらいのもとに始められた施策のようです。結構、あちこちでこのような教師塾が作られています。

(早い話が、優秀な学生の青田刈りでしょう。)

 

 ですから、自分たちがイメージする優秀な教師という型にはめようとするやり方がどうしても目立ちます。

 質問してきた学生も、どうも教委のそのあたりの意図が透けて見える点を良く思っていないようでした。現場の教員からの反応も決して芳しいものではないようです。

 その自治体についてさらに言えば、この10年間に繰り出してきた様々な施策がことごとく学校を管理の論理で動かそうとするものばかりでした。その結果、どうなったのか。
 

 このブログでも話題になった、「職場内のコミュニケーションの欠如」です。管理職と一般教員の間にできた壁です。本来、組織として協働すべき教職員が、一体感を感じられない組織になってしまったのです。

 

 自民党の教育再生実行会議でも、大学での教員養成について、「教職の使命感」を植え付けるような教育がまず行われるべきものだという方向に動いているようです。教師の専門性などは二の次のようです。

 

 勤勉で、文句も言わずに働く労働者を作り出すことだけがこの国の将来にとっていいことなのでしょうか。現実は、もうこれまでのやり方では立ちいかないことをあらゆる分野で示しているにもかかわらずです。

 

 多くの企業がこれまでの成功体験から抜け出すことができず、相変わらずのやり方に固執しており、学校もまさにそうです。
 この状況を突破するのは、やはり若い力だと思うのですが。
 
 

2013年6月23日日曜日

学ぶとは能動的なもの


先週はいい本に出合いました。

「世界はひとつの教室」サルマン・カーン・ダイヤモンド社(1600円+税)です。

 著者のカーン氏はNPO「カーンアカデミー」を立ち上げた人で、今や4000本以上のタイトルのビデオが月に5400万回以上も閲覧されるというオンライン教育サイトを主催しているのです。

 この本には、次のような文章があります。

 「知識を長いあいだ持続させるには、脳をこのように働かせるのが最もよいと思われます。そうであれば、最も効果的な教え方は、教科のなかの各テーマの「流れ」とか関連性、あるいは教科を超えた関連性みたいなものを強調することだと言えそうです。しかし残念ながら、標準的な教室モデルがやっているのは、その正反対です。愚の骨頂は、教科を無理やり分けていることです。私たちは教科の内容を勝手にそぎ落としています。あるいは隔離しています。確率の基礎がわかれば遺伝にも応用がきくというのに、遺伝は生物で教わり、確率は数学で教わります。・・・・・こうした分離は理解の妨げとなり、宇宙の本来の姿を見誤らせます。」(同書p.56-57)

 また、次のようなくだりもあります。

 「私のビデオを利用して授業のしかたを全面的に見直した先生もいます。・・・自分自身は講義をするのをやめ、貴重な授業時間を、通常なら宿題として与えられる「問題解決」にあてました。すると生徒は自宅でビデオを見ることができます。これはふたつの問題を同時に解決しました。すでに見たように、生徒によって学習スピードはちがいます。集中力がつづくのは15分が限界です。能動的学習は受動的学習よりも長持ちする神経経路をつくります。それなのに、教室での受動的学習、すなわちクラス全員が静かに腰かけたままも50分から1時間のあいだに同じペースで情報を吸収しなければならない学習法が、いまだに主流です。その結果、講師がいかにすぐれていようと、ほとんどの生徒がついていけないか、退屈するかのどちらかです。」(同書p.118-119)

 

 まさにここに書かれていることは、この「PLCだより」で話題にしてきたことばかりです。

 「一人一人の学ぶスピードを無視した一斉授業の理不尽さ」「先生が一人で頑張る授業よりも子どもが頑張る授業への転換の大切さ」

 「学びの本質を無視した教科縦割りの教科主義の非合理性」などなど。

 

 これらを無視しては、本物の教育は成立しないと思います。

この大きな方向性をしっかりとらえていない教育活動は思ったような成果を決して生み出さないでしょう。

 われわれがやるべきことは「教室での学びの改革」です。

 余計なことは後回しにして、「学びの原則」を踏まえた授業がどの教室でも実現するように、すべてのエネルギーはそこに注ぎたいものです。

 

 

2013年6月16日日曜日

教師の学びをつくり出す10か条

前回の記事との関連で、「子どもと教師の学びをつくり出す10か条」を見つけました。

これらが実行されたら、確実にPLCになると思います。

1. Have a clear vision. ~ 明快なビジョンを持つ。
2. Model what you want to see. ~ してほしいことは、モデルで示す。
3. Break it down into smaller steps. ~ 段階に分けて、成功体験を味わいながら進める。
4. Help people move from their “Point A” to their “Point B”. ~ 「今いる自分」から「ありたい自分」へ転換するのをサポートする。
5.  Work with people 1-on-1. ~ 一対一で接する。
6.  Promote champions. ~ 何がしかの専門性をもつ教師を育てる。
7. Share, share, share! ~ 共有して、共有して、共有しまくる。
8. Model and promote risk taking. ~ 常にチャレンジすることをモデルで示し続ける。
9. Find the balance of “pressure and support”. ~ サポートするのと圧力をかけることのバランスを見出す。
10.  Always remember that we are in the “people” business”. ~ 私たちは、人を最優先する職業に就いていることを忘れない。


    <メルマガからの続き>


『校長先生という仕事』で書いたことですが、欧米では、管理職は時期が来たらなるものではなく、自分で選んでなるものです。従って、学習指導のプロとして教育に携わり続けるか、それとも学校経営のプロになるかは、早い人は20代の後半で決断し、大学院に行ったりして、準備を始めます。
ですから、いい校長は同じ学校に30年近くいることもざらです。いい校長は、学校理事会からの評価も高いので、辞めさせられることはありませんから、異動がありません。本人も、その学校が気に入っていれば、何年でもいられます。そして、教師などのスタッフはその校長を中心に選出します。ですから、教師でも公立でありながら、同じ学校に長年いる人は少なくありません。従って、日本でしているような、どこの誰がしているのかわからない、まったく脈絡のない「人事異動」は存在しません。(これは、学年が上がるごとに行われる子どもたちのクラス替えとどこかで通じる部分がありそうです。『校長先生という仕事』では、「イベントとしての研修ではなく、日常的な仕事の中で教師の学びを実現する方法」をスペースがなかったので、2つだけしか紹介できませんでしたが、クラス編成も含まれています。興味のある方は、資料請求してください。少なくとも、日本でやられている方法よりは、はるかにいいと思います。★)
 話しが逸れましたが、20~30年、校長をやる人たちもいますから、相当の専門性を身につける人が少なくありません。ですから、いい本や資料がたくさん出回っています。それに対して、日本で学校経営やリーダーシップに関するいい本や資料には努力しても出会えません。その必要性が、まだ認識されていない気がします。
  

★ 要するに、教科書もそうですが、すべてがすべて「妥協の産物」というのが日本式のやり方なのでしょうか? 

2013年6月9日日曜日

あなたは、何を大切にしていますか?

 学校経営や教室経営であなたは、何を大切にしていますか?

 ある資料によると、それは、ビジョン、希望、信頼関係、アイディア、エネルギーの5つだと書いてありました。

 ビジョンは、それなりに聞こえがいいものは、どこでも言っています。(いまや、単なる「お題目」? そうであっては、もちろんいけないのですが・・・)
 アイディアはいろいろあり、いいと思ったものはそれなりに取り組まれています。(しかし、それが授業や学校をよくすることにつながっているかというと、残念ながらそうなっているとはいえません。あるのは、日々変わらない習慣ばかり。)
 信頼関係とコミュニケーションについては、これまでも(いやというぐらいに)繰り返し扱ってきたテーマです。
 ということで、今回は残りの2つについてです。

 学校の先生たちは、いったい何から希望とエネルギーを見出しているのでしょうか?

 子どもたち。

 でも、本当にそうでしょうか?

 希望もエネルギーも、これまでよりもいいものが作れそうだという期待とワクワク感から生まれます。成功例を実際に見たり、体験したりすることでも得られます(←いまの教育界には、これらがあまりにも少なすぎるかもしれません。中・高では、ほとんど部活に委ねてしまっているのかもしれません)。でも、アイディアのところですでに触れたように、いいアイディアはそれなりにすでに存在しています。(しかし、独創的なものを創り出すことは困難ですが。)

 その意味では、「選択」が極めて大切です。
 何にこだわって取り組み、何はほどほどにし、何は無視するのかの判断です。
 どれにも同じウェートで付き合っていたらたまりません。

 選択と同じレベルで大切なのが「戦略的思考」です。
 基本的に、毎年、同じことを繰り返す学校において、戦略的思考を磨く機会は極めて乏しいと言わざるを得ないでしょう。しかし、希望やエネルギーを得、ビジョンを実現するためには、これが欠かせません。
 こんなたとえ話があります。


    <メルマガからの続き>


 昔々、あるところに2人のきこりがいました。いきさつはなんだか分かりませんが、4時間でどちらが多くの木を切り倒せるか競争することになりました。
 ヘンリは、4時間休むことなく伐り続けて、124本切りました。
 一方、ジャックは50分伐ったら10分休み、結果的に144本を切りました。
 ヘンリは、結果がおかしいと怒り出しました。30分も休んでいたんだから、自分よりも多く切れるはずはない、と言うのです。
 そしたら、ジャックは、伐っていなかった間は休んでいたんじゃなくて、斧を研いでいたことを明かしました。 (出典: The principal's edge, by Jack McCall, p.xv)

  
 学校に最も欠落しているのは、この斧を研ぐ時間ではないでしょうか?
 これなしに、授業も、生徒たちの学びもよくなるはずがないのですから。
 (しかし、それはこれまでの「校内研修」や「センター研修」をやり続けても、何も変わらないことは、すでに何十年もの歴史が明らかにしてくれています。まったく戦略的思考が存在しない中で、それらはやられていますから。要するには、ヘンリがしているようなことを、同じように学校でやり続けていてはまずい、ということです。)

 そして、ジャックが提示してくれた5:1という割合は、授業改善にもそのまま使える気がします。
 単なる休み時間として使うのか、それとも自分の授業を磨くことに使うのかでも、自ずと大きな差が生じます。


2013年6月2日日曜日

動かない学校を中から変える!

学校が変らないという状況は、日本もアメリカも変りません。
それに焦点を当てて書かれた本が、School Reform From the Inside Out というタイトルの本です。
著者のリチャード・エルモアという人が書いたものは、彼これ20年近く読み続けています。いい内容を書き続けている人です。
下のコメントはその日本語訳を出した出版社に送ったものを、そのまま貼り付けたものです。

もし、本を読まれたいのであれば、英語で読むことをオススメします。
訳がひどいので、何を言いたいのか勘ぐるのが大変だと思います。

でも、内容的には、大切なことのオンパレードです。
それがまったくといっていいほど伝わらない形で出版されたことが、もったいないのです。

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School Reform From the Inside Out(訳本タイトル:現代アメリカの学校改革)

今の日本の教育に必要な本を選んで、訳されたのは出版社として英断だったと思います。

しかし、日本語タイトルや翻訳が、この本を読む必要のある人たちに届く形になっていないのが、とても残念でした。

「思考停止」が恒常化している(と同時に、本を読まないことが恒常化している。その責任のいったんはいい本を出せない出版社にもあるのですが)教育界において★、いい内容の本は選んで、直訳的に出すだけでは、せっかくのメッセージが届きません。

一つの事例をあげます。
71~4ページで紹介されていることは、とてつもなく重要なことなのですが、「分布的リーダーシップ」★★などと訳したら、何がなんだかわかりませんし、それぞれの項目のタイトルも、その中身も読み手が自分にも関係すること、として提示されていません。
従って、まったく意味のあることとして紹介されていない/翻訳されていない、としかいいようがないのです。
(この「5つの原則」を読んで、その大切さが認識でき、かつそれを実行できる読者は、何人ぐらいいると思われますか? 日本中の教育関係者ができるようにならない限り、日本の教育は改善していかないのに、です。★★★)

もう一つ。
5ページの下の「国語と数学の特別な教育実践に焦点化し、これらの実践を促進発展させるように設計された仕組みと実践を具体化した改ざんモデルであった。教授内容と教育方法に焦点化することが中心的で不変的であり、組織や管理の仕組みと活動は手段で可変的である」を読んでも、何のことかわかる人は、いないと思います。
これも、上の例と同じレベルで、とてつもなく大切なことなのですが、もっとわかりやすく説明するなり、具体的な例を示してあげないと。★★★★

本の半分を占めているアカウンタビリティも、自分ごととして読める読者は果たして何人いるか?

いい本なのに、伝え方が下手なので、伝わらない。
ということは、この本を出した価値は、いったい何なのか、と考えさせられてしまいました。


    <メルマガからの続き>


★ 「思考停止」と本を読まないことが恒常化している原因は何だと思われますか?

★★ distributed leadershipは、「分散的リーダーシップ」の方が理解しやすいと思います。

★★★ 私が訳すと、次のようになります。
71 分散型リーダーシップ・モデルの基礎となる5つの原理

1.リーダーシップの目的は、その立場の如何にかかわらず、授業改善を行い続けることである。
2.授業改善は、持続的な学習を必要とする。
3.学習は、モデルが最も効果的である。
4.リーダーシップは、組織の公式の命令ではなく、学習と改善に必要とされる専門性からもたらされる。
5.アカウンタビリティは、相互補完関係によってのみ実現される ~ もし私の役割に与えられた公式の権限が、ある行動または結果についての責任をあなたに負わせることを求めたならば、あなたにやるように求めた事柄を遂行する能力(知識やスキル)をあなたがもてるようにすることを私が保障するという、平等で補完的な責任を私は負うことになる。

 ※ちなみに、アカウンタビリティは「説明責任」ではありません。
  「結果責任」です。

★★★★ 自分が訳している内容を理解していない人が訳すと、こんなことになってしまう、という典型的な例です。訳している人が理解していないのですから、その訳文を読む読者が理解できるはずはありません。

 ここに書かれていることは、これまでにもこのメルマガで何回か紹介してきた読み・書きの新しいモデルとしてのリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップ、およびそれを算数・数学、理科、社会に応用したもののことです。ちなみに、そのモデルは学校経営や会社経営にまで応用できてしまいます。それほどの価値がありますから、ぜひご一読を!!