2014年2月23日日曜日

カリキュラムづくり


先週の話題は学校のビジョンづくりでした。

 校長が一人で作っていたのでは、他の職員にとっては他人事です。

  やはり、「校長先生という仕事」(平凡社新書)にあるように、
ビジョンづくりにはそれなりの方策が必要です。もちろん、職員だけではなく、子どもたちからも、保護者からも、地域住民からの声を聴くことが大切です。これによって、「地域とともにある学校」になると思います。

 そして、肝心なことは、カリキュラムづくりです。

 どのようなねらいをもってカリキュラムを作るのか、これが学校経営の中核になるようにしたいものです。学校の授業は「教科」で縦割りにされていますが、これは教わる方の都合ではありません。あくまで教える方の都合です。現実世界は今や複雑に相互に関係しているわけですから、学習も複数の教科にまたがった内容を取り扱うことの方がメリットが大きいと思います。

 

 ここしばらく、教育課程関係の研究会に参加する機会が何回かありました。やはり、いいなと思う学校はカリキュラムを自分たちで苦労しながら作っています。お仕着せのものだったり、借り物の計画だったりすることは避けたいものです。校内研修も、もっとこのあたりについて、時間をかけてやるようにしたいものです。以前にもここに書きましたが、授業研究も結構ですが、いつまでもそれだけではだめなのです。

 

 最後に、あるフォーラムで聞いた話を紹介します。

 人は「しぐさ」ばかりでなく、「やる気」のような心情的なものも、人から人へと伝わっていく「共感的存在」であるということです。もし、そうであるならば、「私たちがこう学校を作りたい」「こういう社会を作りたい」という思いを強く持つことで、それが他の人々にも必ず伝わっていくということになります。

 

これこそ、学校の存在意義であると思いますし、私たち教育に携わる人間の役割であると思います。

 悲観的な材料がたくさんある現状ですが、未来への希望を持ち続けていきたいものです。

2014年2月16日日曜日

「学校経営方針」という読まれないリスト



知り合いの校長さんから以下のようなメールを受け取りました。

前任校での反省をもとに、学校づくりをしたいと考えています。その第一が、学校経営方針の作成です。教員の考えや保護者の考えも聞いてそれをもとに学校経営方針を立てます。・・・少なくとも、生徒を前に、先生が講義しているだけの授業はしないようにしようと思います。

今度は小規模校なので、それが可能だというのです。
しかしながら、一番単純なことで、ほとんどの校長さんが理解できないことは、学校経営方針を自分がつくることだと思い込んでいることです。
自分で書いてしまっては、機能しないことが約束されているのに。
そして、一番学ぶのも、得をするのも本人だけです。
他の人たちは、よくて参考意見を聞かれるだけ。
主役は、校長。

これは、まさに授業の構造と同じです。(ですから、「先生が講義しているだけの授業はしない」と「校長が一人で学校経営方針を書く」は矛盾しているわけです。★)

もし、教職員が本当に動く学校をつくりたければ、学校の方針をみんなで一緒につくるべきです。
与えられた段階で、残りの人は「お任せ」です。
従って、二度と読まれることのない(従って、当然実行されることもない)紙っぺらができたに過ぎません。

おそらく、この事実、校長さんはもちろん、教育委員会や文科省の人たちにもまだ理解できないと思います。
要するには、人はどう学び、どう動くのかという根源的な部分を取り違えているので。

より詳しく知りたい方は、『校長先生という仕事』のビジョンの章(147~161ページ、特に149ページ)をご覧ください。はるかに効果的なビジョン=学校目標や学校経営方針の書き方が詳しく書いてあります。


★ 同じ構造にあるのは、学校経営と授業だけではありません。教員研修も、会議もです。誰が主役なのかを見れば、すぐにわかってしまいます。いったい、このボタンの掛け違えをいつまでやり続けるつもりでしょうか?

2014年2月9日日曜日

9―3÷1/3+1=? 新入社員の正答率4割




確かに、この問題が6割もの新入社員ができないことは由々しきことですが、その原因および改善を、「ゆとり教育で希薄化した初等教育の充実を図る」「授業にディベートを採用し、コミュニケーション能力を養う」ことなどに求めるというのも由々しきことです。まったく教育・学校の実態を把握しないでの提案という意味で。

なお、記事には、基礎学力の低下のほかにも、「中経連が会員企業に行った調査によると、企業が学生に求める能力と、実際の能力に差が広がっている。企業が採用の際に重視する能力は「コミュニケーション」がトップの87%。一方、学生に低下を感じるのもコミュニケーションが59%と最も多かった。 こうしたギャップから、特に中小企業で、若手社員の離職につながるケースが増えている」と書いてあり、それが、2つの目の提案の「授業にディベートを採用し、コミュニケーション能力を養う」につながっているようです。この短絡さというか、経営者たちの勉強不足ははなはだしいです。ディベート力を磨けば、本当に離職率が下がると思っているのでしょうか?

これも、メディアが歪曲して報道しているのではないかと思い、当事者である中経連に連絡をして聞いてみました。早速、全報告書がネットで見られることを教えてくれました。
引用された部分は、26~27ページの部分です。

あなたは、それを見て十分な提言だと思いますか? 何が足りないですか?

私の印象は、「ほとんど90年代の経団連や経済同友会のレベルのもの」です。
これでは、なす術を持っていない文科省や教育委員会にインパクトを与えることはできません。ということは、今やられている問題の多い実態が継続されることを意味します。
学校は教育界の中だけでは、悪くは変わりこそすれ、なかなかよく変わるメカニズムがありません。(上から押し付けられるものでは、現場は悪くはなっても、良くなることは期待できませんから。それは、これまでの長い歴史が証明していることではないでしょうか?)学校現場レベルの取り組みを教委や文科省がサポートするメカニズムを構築しないといけないのですが、そういう方向には動いていきません。

その意味で、第三者というか「黒船」というか「外部の圧力」★は不可欠だと思うのですが、その圧力も残念ながら機能していません。


★ 「圧力」という言葉よりも、「学校支援・教師支援」といった方がいいかもしれません。具体的には、情報量が決定的に欠落しているのですから、それを提供することを手始めに。もちろん、お金や人事等の問題もありますが、何をすることがいいことなのかの情報が普及すれば、お金はなくともかなりのことはやれてしまいます。 しかし、何をどうすることがよりよい効果をもたらすことができるのかわからない状態では、無駄な努力やマイナスの効果を生むような努力が続くだけです。 それは何としても止めなくては!! それは文科省や教委に期待できないとすれば、いったいどこに期待すればいいのでしょうか?

2014年2月2日日曜日

学びで組織は成長する


先週の金曜日、1月31日の読売新聞「くらし教育版」に次のような記事が掲載されました。

 

『学校改革 東京から指南役 ※高知』

「高知県の公立小中学校で、東京都の元小学校長が授業や校内運営の改革に活躍している。「指南役」として招いた県教委は、児童生徒の学力アップにつなげたい考えだ。

 この元校長は西留安雄さん(64)。2004年、東京・東村山市立大岱小の校長に就くと、職員会議を廃止し、教師が児童と向き合う時間を増やした。授業では、問題の解き方を自分で考え、グループで教え合った上で、発表する方式を取り入れ、思考力を伸ばすようにした。・・・・」

 

ちょうど、先週のこの「PLCだより」で取り上げられた「学校常識からの脱却」の著者の西留さんです。高知県教委は西留さんの考え方を全面的に取り入れて、改革をしようという意向のようですが、それだけではなく、もう少しその考え方を分析してみたらいいと思います。自分たち(県教委)がこれまでやってきたことの方向性やあり方を再検討するということです。

先週のブログの執筆パートナーの文章を引用します。

 

「最初の章の「学校常識からの脱却」は、見事なぐらいに学校が抱えている課題を明らかにしてくれています。(現職の校長や教師で、課題をこれだけ明確に言える人はどれだけいるでしょうか? 西留さんもこの本を書いたのは、公立の校長を退職してからです。在職中には、書けない内容でしょうか? 校長会あたりからメンバーの総意として、こういうのを教育委員会に指摘し、かつ提案として出すようなことはできないものでしょうか?)」

 

⇒「校長会の総意として」は全く同感です。本来そうあるべきなのです。校長会とはそのような目的で組織されるべきものなのでしょうが、実際はそうなっていないのです。高い会費を取られて、単なる親睦団体ではどうしようもないですね。

やはり、現職中は書きにくいのでしょうね。

 

 後半では、教員の力量向上の話が出てきました。たびたびこのブログでも取り上げるテーマですが、PLCの考え方を理解して、できるところから学校づくりをやれば、3年で変わりますね。

 

また、先週の記事を引用します。

「日本の国語教育には、この題材集めや選書という考え方がありません。同じように、教員研修や研究にも。すべて上から(誰かから)与えられるものとして、それらは存在し続けています。それでは、残念ながらよく学べません。よくて、「お付き合い」のレベルが続くだけです。」

 

⇒「上から与えられたもの」では子どもも大人もよく学べないということです。学び続ける組織をどう作るのか、ここに力を注ぎたいものです。


その方法については、ぜひ『「学び」で組織は成長する』 (吉田新一郎・光文社新書)を読んでください。ここに書かれていることをもとに、各自がその持ち場で取り組めば、学校は確実に変わります。