2014年5月25日日曜日

リーダーにおすすめの絵本



絵本のパワーはすでにピーター・レイノルズの『てん』で紹介済みですが、他にもあります。

ジョン・ミュースの『3つのなぞ』
ウィリアム・ジョイスの『モリス・レスモアとふしぎな空とぶ本』
などです。

ショーン・タンの『ロスト・シング』
は、ちょっと難解かもしれません。

※ 内容については触れません。興味を持たれた方は、ぜひ読んで、感想をお聞かせください。他に、教育界のリーダー(それは、ポジション的なものを意味するだけでなく、「率先して授業や学校をよくすることに取り組んでいる人」のことです)におすすめの絵本をご存知の方は、ぜひ教えてください。お願いします

 いずれも、子どもを対象に読み聞かせするときと、大人を対象に読み聞かせをするときの力点は違うような気がします。

 たまには、こういう絵本を子どもたち対象に読み聞かせしたり、会議や研修の時に読み聞かせてみてはいかがでしょうか? (『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』の中に、毎月学校の教師に1冊ずつおすすめの絵本を配り、教師たちが学校中の子どもたちに読み聞かせることをしている校長の事例が紹介されています。この校長は、絵本を学校中のみんなが読むことを通して読む文化をつくるだけでなく、扱う絵本を通じて学校が抱える問題について考えたり、歩むべき方向性を示していました。)

 大人の場合は、自分の考えやアクションへの影響力が、普通の本などと比べて、とてつもなく大きな可能性もあり得ます。たとえば、私にとっての『てん』のように。

2014年5月18日日曜日

教えることの「説明責任」と「結果責任」



  教師の発言でもっとも聞かれることの一つが、「教えたのに、覚えていないの?」です。
 多くの教師は、教科書をカバーして、その内容を子どもたちに伝えることが教えることと捉えています。
 少し熱心な教師は、単に伝えるのではなく、子どもたちに考えさせたり、発言させたりする努力をしているかもしれません。
 しかし、それらをしたところで子どもたちが学んだこと、ないし理解することとイコールではありません。(近々翻訳出版される『理解するってどういうこと?』(新曜社)が参考になります!!)

 私が教育に関わり始めて最初に(30年以上前のことですが)気づいたことの一つは、「子どもたちが学べる形で教えることのできる先生がいかに少ないか」ということでした。それは、教材研究をして、教師(教科書?)が教えたいことを教えている限りはなかなか難しさを伴います。対象である子どもたちが抜けたままですから。

 そこで、先生たちが「説明責任」のレベルで教えるのはなく、「結果責任」を果せる教え方を探し始めました。その過程で見つけ出したものの一つが、「学びの原則」でした。そして、それらをすべて満たしている教え方としてのライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップでした。

要するには、子どもたちが運転席に座る教え方です。教師は、助手席です。(これに対して、従来の一斉指導は、どう考えても、運転席に座っているのは教師で、助手席に座っているのは数人の子どもで、圧倒的多数の子はよくて後部座席ですが、ほとんどの場合は車から出てしまっている感じです。)大学でも、こういう授業がいまだに横行しているのではないでしょうか? 身体は教室の中にあっても、心というか頭は教室の外という授業が。

 本来、子どもたちが学ばない限りは、教師が教えたとは言えないわけですが、どうも間違った捉え方が長年浸透しており★、その延長線上に「アカウンタビリティ」を「説明責任」と訳してしまう考え方も位置づけられています。(多分に、政治家や官僚の無知もありますが。)

 それでは、校長などの管理職にとって、アカウンタビリティ=結果責任をとるとは具体的にどういうアクションを意味するのでしょうか?
 教育委員会がアカウンタビリティ=結果責任をとるとは? そして
 文科省がアカウンタビリティ=結果責任をとるとは?


★ 「教師が教えたこと=子どもたちが学ぶこと」の方程式は、通常、よくて2~3割の子どもたちにしか成り立たないと思います。文科省や教育委員会が「学校や教師等に伝えたこと=理解して実行されること」ではないこともこれまでの長年の経験から証明されています。教員研修を含めて、まったく同じ構造ですから。

2014年5月11日日曜日

学びの原則


大学の授業は1コマ90分ありますが、学生の集中力の問題もあって、私はこの90分を3分割で構成することにしています。毎週金曜日の2限目の授業は中・高校の保健体育科の教員免許を目指す学生が対象です。


先週の授業の中で、福岡県の中学校保健体育科教師の下野六太先生の授業ビデオを資料として使いました。(これはラウンドフラットという会社から販売されているものです)

これこそ、百聞は一見に如かずということわざが当てはまるもので、公立の学校の体育の時間にここまでできるのかと驚くような実践なのです。この下野先生は専門種目はサッカーなのだそうですが、マット運動や水泳など一般的に中学生が苦手とするような種目で、体育が苦手で1年のときに、水泳のクロールが5メートルぐらいしか泳げなかった生徒が、3年で1000メートル泳げるようになったとか、マット運動が全くできなかった生徒が倒立前転ばかりか、空中前転までできるようになるという実践が紹介されています。


なぜそのような実践が可能かというと、一つはうまくできない理由をビデオ映像などによって生徒自身に確認させたり、できるようになった生徒がうまくいかない生徒に教えたりと「協力して学ぶ」ことができるからです。また、生徒自身が自分なりの「評価基準」をしっかり持てるようになるのも素晴らしい点です。自己評価ができるようになることが、中学生、高校生の最終目標だと思います。また、うまくできたら「みんなで喜ぶ」という「互いに讃えあう」場面も多くみられ、まさに「学びの原則」が実現されているからこそ、このような成果がもたらされたのだと思います。

(「学びの原則」については、「効果10倍の学びの技法」吉田新一郎・岩瀬直樹/PHP新書pp.99100などを参照してください。)


学生と一緒にこのビデオを見ながら、あらためて「学びの原則」の重要性を確認することができました。この授業は100人の学生が受講しているのですが、ほぼ全員が30分間集中して見ていました。彼らも「学びの原則」の大切さに納得の様子でした。

2014年5月4日日曜日

読む力


私のパートナーによる「読む力はこうしてつける」という本が出版されています。

今年度、大学の授業でテキストとして採用させてもらいました。
このなかに、次のような一文があります。
 

教科書はカバーすること、こなすことが目的になりがちのため、教師も子どももなかなか主体的にはなれないように思います。(p.36)

 

学生たちは、これまでこのような目で教科書を捉えたことはおそらく一度もなかったのでしょう。まず、この文章に出会って驚く学生が少なくありません。教科書の内容を教えることが教師の役目なのではと考えている学生も少なくありません。(現職の教師でもそう考えている人はいますが)

 

また、同書の60ページにある「学びの原則」も学生たちにとっては驚きであると同時に、「なるほど、そうだったのか」という感想を書く学生もたくさんいます。昨年度教えた学生の中には、「先生、もっと早く、こんな考え方に出会いたかった」と言ってくれた4年生が何人もいました。彼らにとっては、それまで自分たちが教えられてきた「学び方」「教え方」とはまるで違うものだったからです。彼らは「子どもたちは、一人一人の学びのスピードが違うし、持っている能力も違うのだ」という新たな認識に立って、教育実習に向き合うことができたようです。

(いわゆる大学の教職課程で教員養成にあたっている先生たちも「学びの原則」など聞いたこともないという人がほとんどです。そんな状況で、FDという名のもとに、大学の授業を改善しようと言っても、何が改善されるのだろうといつも思ってしまいます。)

 

ペーパーテストで相変わらず子どもたちの知識の量を測定して、それが学力向上に役立つかのように思い込んでいる日本の教育界の現状を少しずつでも変えていくには、粘り強く活動していくことだと思います。