2015年12月27日日曜日

ルネサンスの学習者

 『理解するってどういうこと?』の206ページ(第6章) と 『たった一つを変えるだけ』  

 おかげさまで『たった一つを変えるだけ』の売れ行きは好調です。
 発売以来ずっと、アマゾンの「学校教育一般関連書籍 売れ筋ランキング」のベスト3を維持しているそうです。(タイトルに惑わされて購入してくれているのでしょうか?)

 先週、『理解するってどういうこと?』も重版になるというので、修正の必要な箇所を直すために読み直しました。改めて、これほど中身の濃い教育書にはなかなかお目にかかれないと思いながら読みました。

 この本にはあまりにもたくさんのハイライトというか得るものがあるのですが、その中から一つ紹介します。
 第6章のタイトルは「理解のルネサンス」で、206ページには「ルネンサンス的思考を促進する教室」の特徴がまとめられています。(下の表)
 
 そうなんです、これのかなりの部分は『たった一つを変えるだけ』で紹介している内容とオーバーラップするのです。

 あと4日で2015年も終わりです。

 2016年を、あなたにとっても、子どもたちにとってもルネサンス的思考を促進する年にしますか? それとも、これまで通りの中世の暗黒時代のままでいきますか?(←『理解するってどういうこと?』の著者が第6章で投げかけている問い)

 今からでも遅くありません。この年末年始を、ぜひ暗黒時代から抜け出してルネサンスにするための準備期間にしてください! よいお年を。 Whatever it takes.


2015年12月20日日曜日

若手教員★の効果的なサポートの仕方

いま多くの自治体で新任教師を含めて若い先生が増えています。
でも、いったいどうやって「いっぱし」の先生になってもらったらいいのでしょうか?

いわゆる「研修」でないことだけは確かです。★★

ポイントを以下の3つに絞りました。

1.何を身に付けること/身に付けたいか優先順位をはっきりさせる
2.具体的なモデルを見てもらう
3.「大切な友だち」としてフィードバックし続ける

これは、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの授業でしていることと同じです。★★

詳しく見ていきます。

1.たくさんあるかもしれませんし、必要性が(見えてい)ないので少ないかもしれません。いずれにしても、『たった一つを変えるだけ』の質問づくりの要領で、当人がリストアップしてみます。サポートする側も「客観的な立場」で見ていて必要性の高いもののリストを出してみて、両方を併せたものの中から、年度内に取り組む優先順位を決めます。3つも決めれば十分ではないでしょうか。(ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの時にするカンファランスと同じです。あまりたくさんのことを一挙に取り組んでも身に付きませんから。)こうすることで、当人が身に付けたいことだけでなく、必要性の高いものも含まれる可能性が高まります。
 また、こういうプロセスを経ることで、やらされ感よりも、「やるぞ!」ないし「やらなければ!」という意識も高まります。

2.実際に取り組む際に何よりも参考になるのは、理想に近い状態を実際に見てもらうことです。校内で不可能な場合は、近場で探して。実現すべき姿を明確にしたら、あとはそれにどう近づいていける(あるいは、それを越えられる)かの模索が続きます。
 その意味では、サポートする側はいろいろな状況を知っている/情報を集めている必要があります。(これが、いまの学校では大きな課題かもしれません。でも、管理職や教育委員会の指導主事も有効に活用して、情報集めをしてみてください。)
 もし、身近に見つからない場合は、本や雑誌の記事を一緒に読むという選択肢もあるかもしれません。ブッククラブの要領で

3.改善のプロセスが展開している間、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの「大切な友だち」=カンファランス的なフィードバック★★★が常にあると、フィードバックされる方はもちろん、する方も常に成長できます。


ここに書き出したことは、「人事考課」の名の下に、管理職と教員がしていることを実効性のあるものにすることと言えるかもしれません。ほとんど機能しているとは言い難い教員研修(研究)や人事考課を実質の伴ったものにするためのヒントにしていただければ幸いです。


★ 年は取っていても、教師として身に付けるべきものをもっていない教員も当然のことながら対象に含まれます。

★★ いい授業といい研修(というか、教員の学び)は、構造的に同じなのですが、どうも両方ともが悪い形で行われているのが日本の学校での学び方という気がします。この辺について詳しくお知りになりたい方は、『「読む力」はこうしてつける』の58~68ページと、『ペアレント・プロジェクト』をご覧ください。)

★★★ いわゆる伝統的な指導とは、大分ニュアンスが違います。そうでないと(もちろん、それも部分的には含まれてはいますが)、相互に学び合える関係にはなりませんから。


2015年12月13日日曜日

学べる会議をつくる


少し前に、大学生たちと会議について考える機会をもちました。テキストは「『学び』で組織は成長する」(吉田新一郎・光文社新書,2006)です。

彼らは私が考えていたほど、これまで会議をする機会が多くなかったようです。そのため、次のような文章を読んでもあまりピンとこなかったようです。(同書p.144)

 某大学で教え始めるようになって15年近くになる西村さんは、かなりの時  
間を会議に費やしている。 教授会をはじめ、学内の会議がいろいろとある 
だけでなく、役所等の委員会の委員にもなっているので、会議のない日は
ないくらいである。
     しかし、振り返ってみると出席してよかったと思える会議はそんなには 
 多くはない。もっと正確に言えば、「時間の無駄」と思えるような会議や 
 「腹の立つ」会議が多い。

  その理由を考えてみると、次のようなものが挙げられる。

・会議の目的が明確になっていない。

・単なる伝達・報告が多すぎる。

・いつも発言する人が決まっている。

・司会や担当者の発言に偏り、反対意見や異なる視点の意見が出にくい。

・職場の人間関係があるので、言いたいことが言えない。

・皆で決めたことが、最終的に一人(ないしは一部)の人の意見ですりかわ
 る。

・意思決定の方法がはっきりしない。

・合意が形成されたのかの確認がされず、なかなか実行されない。
   
 ここに書かれた理由については、多くの学生がわりと理解できると発言していましたので、そんな会議を経験してきたのだろうと思います。この問題の解決策として、この本では次のように書かれています。
   
 最初にしたことは、会議の終了時に三分間の時間を確保して、出席者に会議の印象を何でも書いてもらうことだった(無記名で)。出された意見の多くは、さきほどのリストに挙げられたようなことだった。
    出席者の問題意識は共有されていることが確認できたので、次にしたことは座り方を工夫することであった。会議と言えば、ロの字型に座るものと決まっているが、参考にした本によると、この座り方は必ずしもよくないと書いてあったからである。3~4人ずつのグループになるように座ってみた。このグループでの話し合いと、全体での話し合いをうまく織りなして進めていくと、先にリストアップした会議の課題の半分くらいが解消してしまった。
   
 会議のときの座席の取り方も、「そういえば、ロの字型が当たり前に考えていたけれど、それ以外の形もあるんだね」と新しい発見をした学生もいました。学校には様々な会議があると思いますが、それをどれだけ効率のよいものにできるか、そんなところから学校改善を始めてもよいかもしれません。学校では当たり前の習慣になっているものを、一度見直して、時代遅れのものはなるべく早く変えていけるといいと思います。そのときの「変化の原則」についても、「効果10倍の教える技術」(吉田新一郎・PHP新書,2006)で確認しておくとよいでしょう。無駄を省くためにも必要なことがすっきりとわかります。

 

 

2015年12月6日日曜日

意味のある研修を


先週のこのブログの内容をどう受け止められたでしょうか。

私はこの記事の核心である次の文章を、多くの先生方と共有したいと思いますがどうでしょうか。
   

可能なら学校レベルで、最低でも数人の仲間単位で継続的な取り組みが必要なことを意味します。(講師の継続的な関わりが確保できれば、それに越したことはありませんが、より大切なのは同僚同士の日常的な助けあいや刺激のしあいです。)

それが、研修というものです。

  私自身、研修を受ける立場と運営する立場の両方を経験しましたので、そのとき限りの研修がほとんど役に立たないことは実感としてわかります。せいぜいプラスの効果としては、研修の中で紹介された本を読んでみて、それがよかったという程度のレベルでした。研修講師の立場からも研修後のフォローを続けるというのも現実問題としてはハードルが高すぎます。

   
 かつて指導主事をしていたときに、「若手教員研修」という企画を立てて、年に5回その先生の勤務校に出向いて行って、マンツーマンで研修するということをやったことがありますが、それでさえ、せいぜい年に5回です。その企画でも一人の指導主事が担当できる教員数は5人程度が限界です。そう考えると私が勤務していた市の規模でも数千人の教員がいるわけですから、この程度の研修でも、受けることのできる人数は微々たるものということになります。

 
そう考えると、「同僚同士の日常的な助けあいや刺激のしあい」がいかに効果的で現実的なものかがよくわかります。以前、このブログでも書きましたが、自分の経験でも、教師生活の中で何が最も研修として役に立ったかと言えば、20代のころの校内での同年代の気の合う仲間たちとの「日常的な助けあいや刺激のしあい」でした。

これは、学級経営や教科経営などを進めていく上でとても効果があり、仕事への意欲を継続させるという点でも大きな効果があったと思います。

 
都市圏では教員の大量採用がしばらく続いてきました。いろいろと問題点もあるようですが、これはある意味、チャンスではないでしょうか。校内で「日常的な助けあいや刺激のしあい」を行う機会をもつことができれば、多くの若手教員にとって、教師としての力量アップにつながることは間違いなしです。授業も間違いなく面白く、魅力のあるものになるでしょう。


管理職の先生方には、そんな若手を後押ししていただくだけで、学校は活性化すると思いますが、どうでしょうか。

2015年11月29日日曜日

教員研修の「誤解」を吹き飛ばす2つの表

教員研修は、大きな誤解のもとに行われ続けています。
それは、校内研修★でも、センター研修などの外部研修でも共有されていますし、研修を企画し主催する人も、講師役を務める人も、そして研修を受ける/受けさせられる人も(さらには、研修を制度的に運営している人たちも)共有しています。(なので悲しいかな、誤解は解消されない、という仕組みになっています!!)

それは、一言でいうと、以下のような感想がでればいい研修だったと判断されることです。
  「○○大学の先生の素敵なお話。
   職場の同僚で行った語り合う会。
   実りある研修になりました。
これは、校内研修の場合ですが、外部研修の場合は、「職場の同僚で行った語り合う会」が「参加者同士で行った中身の濃い話し合い」に換わるぐらいです。

2つの表をじっくり視てください。(コピーをクリックすると拡大します。)


      (出典:『校長先生という仕事』202~3ページ)



これら2つの表で、何が誤解されているか気づかれたでしょうか?

[研修を評価する際に重要な5つの側面]の表からは、日本で行われている研修のほとんどが第1段階の「1.参加者の反応」レベルで終わっていますし、よくて「2.参加者の学び」レベルだということです。3~5が問われることはありません。なので「大量の研修は行われるが、授業は一向に変わらない」という状況が続きます。
評価と目的は、コインの裏表の関係にありますから、3~5が問われないということは、最初から子どもたちへの還元が目的にすら挙がっていないことを意味します。

[研修の方法によって変わる効果]の表は、すでに何度かこのブログで紹介していますが、お話を聞いたり、したりするレベル(AやBレベル)では、何も変わらないことを意味します。それに加えて、体験して練習したとしても(Cレベル)、授業でやれるようになる人は20人に2~3人しかいません。

要するに、研修をイベントとして位置づけている限りは、子どもたちに還元するものにはならないのです。しかも、実践レベルのサポート(Dレベル)は、1回、2回でいい人から、5回~20回必要な人まで様々です。(もちろん、Cレベルでやれるようになった人も、1~2回のサポートでやれるようになった人も、それで満足していいなどというものはありません。あくまでもスタートラインについただけです。)
その意味でも、可能なら学校レベルで、最低でも数人の仲間単位で継続的な取り組みが必要なことを意味します。(講師の継続的な関わりが確保できれば、それに越したことはありませんが、より大切なのは同僚同士の日常的な助けあいや刺激のしあいです。)
それが、研修というものです。
「誤解」は解消できたでしょうか?

ちなみに、ここまで「研修」で書いてきたことは、ほぼすべて「授業」に当てはまってしまいます。両者も、コインの裏表です。その意味では、授業にも同じ誤解があると言えます。


★ 校内研修には、「研究」と称して行われるものもすべて含まれます。




2015年11月22日日曜日

授業や学校を、ドキュメンタリーや病院と比較する

先週、『私と宗教 ~ 高村薫、小林よしのり、小川洋子、立花隆、荒木経惟、高橋惠子、龍村仁、細江英公、想田和弘、水木しげる』(平凡社新書)渡邊直樹編を読みました。
(ここ数年、死について考えているので。
そしてその後、その対談に登場した何人かの人たち(写真家を含めて映像の世界の人がどういうわけか多い!)の本を読み、中でも想田和弘さんの『精神病とモザイク』と『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』などと教育との接点を感じたので、紹介します。

下に貼り付けたのは、『精神病とモザイク』からですが、内容的には『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』とオーバーラップしています。

● まずは、ドキュメンタリーの番組づくりの行き詰まりについて(34~39ページ) ~ これって何かに似ていませんか?





● 次は、見かけの効率と真の効率について(170~2ページ)





● そして最後は、生産性だけで人間は測れないことについて(184~6ページ)



授業や学校を異なる視点で見ることはとても価値があり、大切だと思います。
読まれて、どんな感想をもたれたか、ぜひ教えてください。


2015年11月15日日曜日

パーソナル検索


最近、「本の底力」(高橋文夫・新曜社2015)という本を買いました。

この本は出版社の新刊案内にあった紹介文から、よさそうな内容だったので購入した本です。よく、新刊案内の文章はよかったのに、いざ実物を手にすると、期待したほどではない本もありますが、この本は期待に違わぬよい本でした。

その中の一節に「グーグル、「パーソナル化」検索の方針を打ち出す」という項目があります。

 
 グーグルは200912月、公式ブログで「40か国語に及ぶ全世界を対象として全利用者にパーソナル検索を導入する」一大方針を明らかにした。(http://googleblog.blogspot.jp/2009/12/personalized-search-foreveryone.html)


 利用者が検索したい言葉を入力すると、グーグルは利用者の居住地域をはじめ、過去にクリックした履歴、広告へのアクセス状況、フェイスブックなどの交流サイトの利用結果などをもとに、検索内容をえり分け、利用者のねらいに合うと想定した順に結果を表示する。
   

 つまり、その人のアクセス履歴やネットで購入した履歴などを蓄積し、そのデータに基づいて、次に検索をしたときにその人の興味関心に沿うような検索結果を表示したり、おすすめ商品を提示したりするという広告活動を行うものです。グーグルの検索を利用すると、自分の情報がすべてグーグルのデータベースに蓄積されるわけです。

 わが国の最大のポータルサイトであるヤフーもグーグルの検索エンジンを採用しているので、日本のネット利用者の90%以上はグーグルの検索エンジンを利用していることになるわけです。
   

 このパーソナル検索が進んでいくと、どうなるのでしょうか。
 この本の解説によると、第一の問題は、次のようなものです。
   

 「検索していても思いがけない情報と出会うことを妨げ、新たな創造性の芽
  を摘む。人は、自分の知らないことや考えもしなかったこと、理解できな
  いこと、嫌なことなどの異なるものや別のものと出会うことにより、はじ
  めて新しい情報や知識などを得ることができる。だが行き過ぎたパーソナ
  ル化はそれとはまるで逆の方向を向いている。自分に見合う、お手頃な情
  報が返ってくることしか期待できない。」
    

 つまり、「知りたいことがはっきりしていること」を探すときには、パーソナル検索は便利な道具なのですが、それ以上のものは見つからない可能性が高いということです。そうなると、自分に都合の良い情報だけが集まって、自分の先入観や偏見を補強してしまうことになる危険性があるということです。
   

今回、この説明を読んで、検索機能は大変便利なものですが、その裏でこのような欠点もあることを理解した上で日頃から使うようにしたいものだと思いました。学校教育の中でもネットの検索機能を利用する場面も今後一層増えてくると思いますが、子供にはこの点についてもメリット・デメリットをきちんと教えていくことが大切だろうと思います。

2015年11月12日木曜日

文科省の副教材から考えたこと

安倍さん=安倍政権の教育における試み(「政策」などと呼べるような代物ではありませんから)に一貫して言えることは、すべて「思いつき」の域を出ていません。★

前回紹介した「選挙権年齢の満18歳以上への引き下げ」にしても、「政治や選挙等に関する高校生向け副教材等について」にしても。

副教材に安倍さんは直接関わっていませんが、「教員の免許更新制」の時と同じで、役人/製作者たちは「どうせ役に立たないもの」と思っている気がします。効果など期待できないのに、上から降ってきたので「仕方なくお付き合いしている」という感じです。

高校生たち自身に書いてもらった方が、いい内容のものができたのではないでしょうか?
あるいは、そういう発想こそが大切だと思います。
彼ら・彼女らに主体的に参加してもらう一歩なのですから。★★

ちなみに、いま文科省主導(?)で展開しつつある「アクティブ・ラーニング」も同じ路線を歩んでいる気がします。
教師がすべてお膳立てして、アクティブ・ラーニングを生徒たちにさせるアプローチです。(それのいったいどこが「アクティブ」といえるのでしょうか? 確かに、一斉授業よりは「アクティブ」ではありますが・・・)


★ その前の民主党政権は、もっとひどかったかもしれません。何もしないうちに消えてしまった、という感じですから。

★★そんなこと、文科省には期待できないことでしょうか?
 これを実現するために、教育界の人間および民主主義を大切だと思う大人ができることはなんでしょうか?
①それを高校生(あるいは中学生や小学生)がつくり出すお膳立てをすることや、②文科省版の副教材とは異なるものを教育委員会レベルや民間レベルでモデルとしてつくってみることなどは私にも思い浮かびます。他にアイディアはありますか?
  う~ん、副教材の枠組み自体を取り払って、もっと自由に発想しないと選挙を含めた政治や民主主義に本質的に役立つものはできなさそうな気がしてきました。(逆に、それなら小学校の中学年以上で、やれることはいろいろあると! 低学年でも可能かな??)
  確実に言えることは、いつまでもお上主導の路線でやっている限りは、体裁だけは整いますが、中身のないものであり続けるということです。(それとも、教育とは体裁を整えることなのでしょうか? このブログで紹介している「学びの原則」を押さえることなく。)


2015年11月8日日曜日

選挙権年齢の引き下げに伴う副教材


平成276月に、選挙権年齢を満18歳以上に引き下げる公職選挙法改正法が成立しましたが、最近、文科省のホームページに副教材「私たちが拓く日本の未来」が公開されました。

「政治や選挙等に関する高校生向け副教材等について」

   
全体の印象としては、あまり面白味のない教材ですが、その中に、「話合いの形態」という項があり、そこでは、次のような手法、「ワールドカフェ」も紹介されています。みなさんご存じのこととは思いますが、一応貼り付けしておきます。

() ワールドカフェ

  比較的新しい手法として,ワールドカフェがあります。少人数による会
  話を,メンバーを入れ替えて何度か行うことにより,擬似的に参加者全員
  と話し合っているような効果が得られる手法です。力フェのような気の張
  らない場所での自由な会話を楽しもうという考え方です。街づくり,組織
  改革,教育など様々な場面で活用されています。

進め方

1 )4人で1つのテーブルに座ります。

2 )各テーブルでテーマについて話し合います。テーマは全テーブル共通で
す(1回の話合い( ラウンド) 20 分程度です)。

3 )テーブルに置かれた模造紙に,話合いの中で気付いたことを" 落書き"  
のように書いていきます。キーワードでも絵でもなんでも様式は問いませ
ん。

4 )各テーブルでホストを決め,その人を残して他の人は " 旅人" となって
別々のテーブルに移動します。

5 )次のラウンドで,ホスト,旅人共に,前のラウンドでの話を簡単に共有します。その後,更に話を進め,模造紙に気付いたことを書き込みます。

6 )次のラウンドは,最初のテーブルに戻り,各テーブルで得られた発見や
気付きを共有し,更に話合いを進めます。

7 )最後に,気付いたことや学んだことなどのキーワードを各自付箋紙に書
いて,模造紙に貼り,共有して終了です。簡単に各グループから発表しても
らうこともあります。

 
 このような手法はぜひ高校でもいろいろな場面で活用してほしいものです。

 ついでと言っては何ですが、「質問づくり」の手法もぜひ利用するとよいと思います。

なにせ、「質問づくり」は「民主主義を実践するためのスキル」なのですから、こんなによい方法はないでしょう。

    それから、この教材の後半には、「手法の実践① ディベートで政策論争をしてみよう」という項目もあるのですから、各高校では、ぜひ、その地域の現在の課題を取り上げて、実際にリアルな問題で実践するといいですね。 

私の住む市では、現在、LRT (Light Rail Transitの略で、路面電車を近代化した新しい交通システムのこと)の導入に向けた動きが加速されているところですが、総工費300億円超の巨額の税金を投入してまで建設する価値があるのかどうか、私としては大いに疑問です。この建設費などは間違いなく今の高校生世代に大きな借金として残されるわけですから、市内の高校生たちの意見も本当は重要です。

2015年11月1日日曜日

思考の可視化・続き


先月「思考の可視化」について取り上げました。

その後、大学の授業で何回か、「Making Thinking Visible(邦訳: 子どもの思考が見える21のルーチン、黒上晴夫・小島亜華里訳、北大路書房2015)で紹介されている「3-2-1 ブリッジ」を利用してみました。
   
この「3-2-1ブリッジ」は、あるトピックや概念に関することについて、思い浮かんだ単語をまず3つ書き出します。次に、そのトピックに関係する質問を2つ挙げます。最後に、トピックについての比喩(直喩でも隠喩でも可)1つ作らせます。これで、最初の活動は終わりです。
   
 次に、ある学習活動を行います。教材を読んだり、ビデオを見たり、あるいは実験なども考えられます。これが終わった後に、2回目の「3つの単語・2つの質問・1つの比喩」を行います。
   
 そして、最後に2人組になって、1回目と2回目の「3-2-1」で自分が書いたことをお互いに見せ合い、1回目から2回目への変化について、気づいたことを話し合います。これがいわゆる「ブリッジをかける」、「つながりをつける」ということになるわけです。
    
  2段階の活動を行い、あるトピックやテーマに関して、最初に考えていたことが2回目にどのように変わっていったか、あるいはどうつながっていったかをみて、その変化に対する気付きを話し合うということになります。この話し合いが、このルーチンの「鍵である」と、この本には書かれています。

新しく学んだ情報がうまく統合あるいは総合されているかどうかを知ることができるだけでなく、メタ認知のよい機会にもなるというわけです。

自分で実際にやってみて、このやり方がよい効果をもたらすためには、1回目の「3-2-1」が終わった後の、次の「学習内容」の選択が大切だと感じました。その内容にどんなものを選べばよいのか、なかなか難しい問題ですが、それを考えるのも教師としての仕事の面白さではないかと思います。 

この次は、学習内容を要約させる「Headline」をやってみたいと思います。

今回の授業の対象は、小学校教員を志望している学生たちでしたので、彼らが教員になったときにこのやり方をそれぞれが教室で展開することによって、こうした思考の可視化が広がっていくことを期待したいものです。

2015年10月25日日曜日

EQ(こころの知能指数)



EQをご存知ですか?
IQよりもEQの方が大事だと言われて、20年になりますが、教育界での認知度は極めて低いままが続いています。

IQは固定されていますが、EQは練習次第で磨くことができる、という大きな違いがあります。

を見ていただくと、その中身がわかります。

柱は、
  ●自分自身のコントロール
              ・自分自身を知る
              ・自分自身をコントロールする
              ・モチベーション
  ●関係づくり
              ・思いやり/他の人の立場に立てる
              ・ソーシャルスキル
です。

柱は大切ですが、より大切なのはそれぞれの項目です。
いずれも、誰もがもっていたらいいスキルばかりです。
表を見て、
あなたにとって、強みとして位置づけられるものは何ですか?
逆に弱みは何ですか?

この表では、ライフスキルとの対比もしています。若干切り口は違いますが、ほとんど同じです。これらを身につけることは、ますます大切になっているのではないでしょうか?(逆に言えば、身につけるチャンスが少なくなっている?)

これらは、学校のリーダーはもちろんのこと、教室のリーダーである教師はもちろんのこと、一人ひとりの生徒たちも身につけておいた方がいいものばかりです。

でも、問題はこれらをどこで(どの授業や活動で)どうやって身につける/扱うかです。

従来の一斉授業では到底無理なので、部活動(や特別活動)がもてはやされるのだと思います。
が、本当に部活(や特別活動)で身についているでしょうか?

この表の上にも書いてあるように、ライティング・ワークショップ(作家の時間)やリーディング・ワークショップ(読書家の時間)の実践は、その具体的な方法にもなっています。
もちろん、EQやライフスタイルを身につけることを目的に開発されたものではありませんが、かなりの程度身についてしまいます。

EQについて、私のオススメの本は『ビジネスEQ : 感情コンピテンスを仕事に生かす』ですが、すでに絶版のようです。図書館で見つけるか、他のEQ関連の本をぜひ読んでみてください。

以前紹介した「ボスとリーダーの違い」は、かなりの部分EQのあるなしと比例関係にある気がします。


2015年10月18日日曜日

『ギヴァー 記憶を注ぐ者』を読みました。しかも一ヶ月に2度も。

というTさんが感想を送ってくれました。

初めは9月中旬に渋谷で『ギヴァー 記憶を注ぐ者』の映画を観たのがきっかけでした。迫力ある展開をもう一度味わいたかったのと、なんでこのコミュニティが存在するのか、その背景をもっと知りたくて本を手に取りました。

その後は『ギヴァー 記憶を注ぐ者』の本『ギャザリングブルー』『メッセンジャー』再び『ギヴァー 記憶を注ぐ者』の本と、展開に乗っかって(飲み込まれて?)たった一ヶ月で、『ギヴァー』を二度も読んでしまいました。


何がそんなに自分の心にヒットしたのか。

自分の心の中に描いたギヴァーの世界と、今の仕事、今の教育、今の世の中の問題点とぴったりと(恐ろしいくらい)重なったからかもしれません。

衝撃だったのは・・・

「すべてが同じなのならば、選択のしようがないですよ!ぼくは朝起きて、どうするか決めたいんです!」
ジョナスのふりしぼられた叫び。これって教室の中にいる子ども達の声なのかもしれません。

同一化、予測可能なギヴァーの世界に起こっていることは正解をあてっこする授業そのもののように感じます。
与えられたものを与えられた通りにこなすだけ。
ジョナスのように声が上がらないよう、つつがなく授業をずっと行っていたとしたら、子どもは同一化に向かうだけ。会社も学校も同様で、誰かが決めた事を押しつけられて、それをこなすことに必死になっていたら...やっておくことが無難、ことなかれ的、意味や価値を感じない。自己有能感やモチベーションが高まる瞬間ってどうやってつくっていったらいいのでしょう?


ジョナスの父が双子の一方を解放した後はとても辛かったです。ジョナスの高ぶる感情のあとのギヴァーの言葉もぐさりときました。「かれらは何も知らないのだから」「与えられた人生なのだから」

疑いもせずに平気で過ごせてしまうことほど恐ろしいことはない。そう感じました。


その後、ジョナスがコミュニティを飛び出したあと展開ですが、ここのページ数ってそんなにありません。
でも、読んでも読んでも先に進まない不思議な感覚を味わいました。

色鮮やかな一つ一つの風景の美しさ。
花のにおい、水の冷たさ。凍えながら記憶をもとに体を温める感覚、やっと手にしたジャガイモ。泣きやまないゲイブの声。

自分自身もジョナスといつの間にか一体化して、同一化の世界を飛び出し、じっくり新鮮さを味わう内的な時間をじっくり楽しんでいたのかもしれません。


改めてふり返ってみると、この本を通して
・問うこと(当たり前を疑うこと)
・選択すること
・勇気を持って行動すること
・愛を分かち合うこと
ってどういうことなのか?を問われたように感じます。
これらの問いは以前もどこかで考えたと思いますが、この物語を通して強く鮮明に頭の中に残ったように感じます★★


『ギャザリングブルー』『メッセンジャー』を読み終えて。なんでマティは自分自身をトレードしなくてはいけなかったのか。もやもやしています。今後の展開がとても気になります。

★★最初の1点目は最近読んでいる『たった一つを変えるだけ ~ クラスも教師も自立する「質問づくり」』にもつながりますし、あとの3点はポジティブに生きていく上で欠かせない要素かもしれません。

2015年10月11日日曜日

子どもたちの力を活かす


  ちょうど1か月ほど前にここで取り上げられた『クオリティ・スクール』ウィリアム・グラッサー著について私の方でも取り上げたいと思います。

 
   少し前に、ある雑誌の原稿を頼まれたときに、この本を読みました。この翻訳本が出版されたのが1994年のようですから、多分出版されて間もないくらいの時期に一度読んだ記憶があります。そのころはまだ大規模校の一教員でしたから、この本のいいところはあまりわからなかったように思います。

 
しかし、今読み返してみると実に示唆に富んだ本であることがわかります。

その良さについては、すでにパートナーが指摘しているとおりですので、確認されたい方はぜひ96日の記事を読み返してみてください。

 
私が今回雑誌の原稿を書くときに参考にしたのは、188ページの次の部分です。

 
生徒仲間のカウンセラー
   
ボランティアは大人に限る必要はない。生徒にも関わってもらうとよい。生徒がお互いに援助しあうさまざまなやり方は、教えることからカウンセリングまで幅広くある。最上のプログラムの一つは、生徒のボランティアを訓練して、仲間のカウンセラーとして関わってもらうことだ。
     

このような考え方は今日では「ピア・サポート」という活動として学校に導入されているところもあります。「いじめ」の問題はなかなか根絶するのが難しい問題です。なぜなら、

ネットを通じたやり取り、特にLINEなどのメディアによる子ども同士のかかわりを把握することは現実には不可能だからです。したがって、子どもたちが持っている力を学校の中でもっとよい方向に活かしていくことが大切です。そのための視点をこの本はさまざまな形で教えてくれています。
    

また、190ページの次の部分も大切です。
   

生徒の求めているものは、教職員が絶えずより良くしようと努力している ことが全員に分かるような学校なのだ。
     

  これこそ、管理職の学校経営の基本でなくてはならないと思います。このような学校が現実に少しでも増えることを期待したいものです。

2015年10月4日日曜日

思考の可視化


「思考の可視化」は現在、ビジネスの世界においても、新たな製品開発やプラン作成のための有用な開発ツールとして利用される場面が多くなっています。

先月刊行された「子どもの思考が見える21のルーチン」(R.リチャート/ M.チャーチ/K.モリソン著・黒上晴夫/小島亜華里 訳・北大路書房 \3,000+税)を紹介します。

この本には、ハーバード教育大学院のプロジェクトゼロが提唱する学習プログラム「思考の可視化」を中心に、子どもたちの思考の成長を促していくための方法が語られています。

「プロジェクトゼロ」は、1967年にハーバード教育大学院で芸術教育を研究、改善する目的で設立されました。当初は芸術分野が中心でしたが、その後学習のあらゆる分野に対象を広げていきました。このプロジェクトは、人文・科学・芸術分野での学習、思考、創造性を理解・向上させることをねらいとしています。

私たちは、見たり、聞いたりすることで物事を学びます。見たり、聞いたり、模倣して学んだことを自分の興味やスタイルに合わせて取り入れていくことが学びの基本です。お手本を見ることもなく、ダンスやスポーツを学ぶことはできませんし、音を聞くことなく音楽を学ぶことはできません。つまり、思考を学ぶことは、学習することを学ぶことでもあります。

「思考の可視化」学習プログラムを通して、生徒は自分の思考を自分自身、クラスメート、先生に対して目に見える形で表現できるようになり、学習している問題により深く関わることができるようになります。また、生徒の思考が教室で可視化できるようになると、生徒が自分の思考について考えるメタ認知能力が上がります。生徒にとって学校は単に教えられたことを覚えるところではなく、考えを探索する場になります。教師側のメリットとしては、生徒の既得の知識、理解の度合い、論理的思考が明らかになることにより、課題を把握し、生徒の思考を伸ばすことができるようになります。

 
 本書の構成は以下のとおりです。

 【第1部 思考についての考え】

1章 思考とは何か

2章 思考を教育の中心に

思考に関するブルームの分類を改訂する考え方を説明し、それがより高いレベルの思考を引き出すような教師の質問につながることを解説しています。

 
 【第2部 思考ルーチンによる思考を可視化】

3章 思考ルーチンの導入

4章 考えの導入と展開のためのルーチン

5章 考えを総合・整理するためのルーチン

6章 考えを掘り下げるためのルーチン


 様々な形で思考を深めていくためのルーチンをそれぞれ、目的、内容、進める手順等について解説しています。

この実践を始める最も簡単な方法はプログラムの中にあるルーチンを授業の中に取り入れることです。ルーチンとは、実践的で機能的な思考のための質問集で、様々な学年やどんな内容にでも適用することができます。生徒が学習の過程で何度も用いることにより、次第にルーチンを使って考えることがクラスの文化として定着していきます

ルーチンの一つである「SEE  THINK  WONDER」は次のようなものです。

このルーチンは以下の3つの質問集から成り立っています。

  SEE ・・・・・・・・・・何が見えますか?

  THINK ・・・・・・・・それについてどう考えますか

 ・WONDER ・・・・・・・何が類推できますか?

それぞれの視点から、順番に思考を深める学習活動を進めていき、その評価を行います。

また、各ルーチンには必ず実践例が添付されており、実際に取り組む際のよい参考になります。

 
 3部 思考の可視化に命を吹き込む】

7章 思考が評価され、可視化され、推奨される場をつくる

8章 実践記録から
   
著者のロン・リッチハートは2000年からハーバード教育大学院のプロジェクトゼロ主任研究員です。プロジェクトゼロに参加する以前は、小・中学校の美術や数学などの様々な教科の教師をニュージーランド、アメリカのインディアナ州、コロラド州で経験しました。

彼の教師や研究者としての仕事は、様々な環境での学びにおける思考や理解、創造性を豊かにすることを重視することで一貫性があるものです。

 また、共著者のマーク・チャーチは20年来の教育学者であり、生徒たちの思考や学びを豊かにしようと努めている教師や学校の管理職たちの手助けをすることに特別な関心を有してきました。

 もう一人のカリン・モリソンは教師と生徒の思考や学びに関心のある情熱的な教育学者です。彼女の仕事は、生徒のより深い思考や理解をサポートするための環境や構成を用意することに焦点化されています。
   

 全体の印象としては、図版が少ないので、文字ばかりの印象が若干残ります。一人でこの本を読み通すにはかなりの集中力が必要だと思われます。(ブッククラブが必要かもしれません)
また、事例も掲載はされているのですが、各ルーチンの手順(ステップ)だけを読んでもすぐに実践するのは難しいかもしれません。でも、興味がある方はぜひこの本を読んでいただき、教科や道徳の時間などで活用してみるとよいと思います。ただし、あくまでここで紹介されたルーチンは手段にすぎませんから、目的化しないことが大切です。