2016年11月27日日曜日

これからの教師に求められるものとは


PLCだより』1113日の記事『21世紀の教師の特徴』をお読みになりましたか?

ここに掲げられている項目は、これから教師が目指すべき方向性がとてもわかりやすく書かれていると思いませんか。
   

「学習者中心のクラス」はここで何度も取り上げられてきたことなので、敢えて取り上げませんが、2つ目の「紙からデジタルに」は今後の教育を考える上で、避けて通れない道です。
   

(生徒たちは)「多様なSNS(ツイッター、インスタグラム、フェイスブック、LINEなど)やブログや動画などを使いこなしています。これらをいつまで教室/授業から閉め出しておくことができるでしょうか?」
   

 まさにそうなのです。私がこれまで出会ったアメリカの教師たちはその多くが自身のブログを開設していました。ある小学校の理科教師はそのブログを通じて、授業の様子などを個人情報に配慮しながら、誰が見てもわかるような形で公表していました。保護者も自分の子供が今どんなことを学んでいるのかが一目でわかるようになっているのです。

また、この先生は自分の興味関心のある分野の最新のニュースなども掲載し、子供たちの関心を高めるような工夫もしていました。また、保護者だけでなく、その地域に住む人とのコミュニケーションも積極的に図るような取組もありました。

このように書くと、「一人の教師がそんなことをすると職員の和が乱れる」とか、「ネットの危険性はどうなんだ」という話がすぐに出てきそうです。確かにSNSはリスクがあります。しかし、そのリスクを上回る効果があることに注目してよい時期に来ているのです。
     

「グローバル」と言いながら「教育に関する情報」という点では「鎖国状態にある」というパートナーの指摘はとても的を射た話であると思います。学校教育を良いものにしていくヒントはすでに欧米の研究や実践の中にそのほとんどがあると言っても言い過ぎではないでしょう。教師自身のブログもデジタル・ポートフォリオとして、ぜひ活用すべき時期に来ているのです。 

これからの教室での学びについても、「探究学習やPBLが中心に」という指摘がありました。
   
『情報をもっているのは教師だけ(教科書だけ)という時代の学びと、情報はどこからでもすぐに得られる時代の学びとは、自ずと違います。後者の時代の学びに適しているのが探究学習=PBL(プロジェクトや問題設定&解決学習)です。』

 
 アメリカの理科教育に関する実践記録を読んでいると、さかんに「Inquiry」という言葉が出てきます。Inquiry、すなわち「探究」です。「探究」の意味を広辞苑で調べてみると、「物事の真の姿をさぐって見極めること」とあります。

ここには、二つの行動があります。「探る」ことと「見極める」ことです。

「探る」ことは、形式的には「観察」や「実験」という形で実際の授業でも行われていることと思います。難しいのは、「見極める」ことでしょう。そして、この「見極める」ことが本当に授業として行うのに値するものであるためには、導入部での「問い」の立て方が肝心であるということになります。また、評価のあり方も問題になるでしょう。

 そして、「見極める」段階で、ICTを効果的に利用することも、「紙からデジタルに」の具体策の一つです。

このような特徴を備えた「探究学習」を日々の授業で実践していくことが学び続ける教師に求められているわけです。

 

 

 

 

2016年11月20日日曜日

自分のメンターの選び方


 これは、子どもたちが各自のメンターを見つけるときのモデルとして試してみるといいかもしれません。(でも、実は子どもたちのほうが先をいっているのです。子どもたちは、メンターを探すのが得意です。自分の興味関心があることなら、自分よりもうまくやっている子を見つけて「それどうやるの?」「それどうすればできるの?」「そのやり方、教えて!」と聞けてしまうからです。年齢が上がるに従って、聞くのが確実に下手になります。)

 新任の教師はもちろんのこと、常に向上したいと思っている教師★にとってメンターの存在は欠かせません。(このブログでも、その大切さは繰り返し書いてきました。
 今回は、自分にピッタリあったメンターの選び方に焦点を絞って書きます。

1.教師を楽しんでいる人
 楽しんでいることも、その反対に楽しんでいないこと(=苦痛?)も伝播してしまいますから、どうせなら前者の方がいいに越したことはありません。それは、ちょっと観察すれば分かってしまいます。楽しんでいる人を選んでください。

2.子どもたちが好きで、授業が大好きな人
 教えることは、科学であると同時にアートです。
 科学の部分は、凝縮すると「学びの原則」です。
 さらに一言でいうと、子どもたちが「分かった」や「できる」や誰かに自分が発見したことを教えることで目を輝かせている状況をできるだけたくさんつくり出している、ということです。
 アートの部分は、人間関係の形成、やる気の持たせること、クラスの一体化、サポーティブな教室の雰囲気などです。クラス運営のノウハウは、教師としての仕事を楽にも苦しくもしますから、決定的に重要です。
 これらすべてを一人の人が持ち合わせていることは稀かもしれませんから、子どもたちが本当に好きな人(これのかなりの部分はクラス運営に現れます)と、科学とアートの観点からの授業が好きな人という2つの観点から、何か光るものをもっている人を選んでください。

3.一人に限定する必要はない!
新任の場合、公式なメンターはあくまでも選択肢の一つとして位置づけます。馬が合う合わないは、努力では乗り越えられない領域なので、無理をする必要はなく、ほどほどに付き合ってください。一方で、公式・非公式に如何に関らず、すべての人を自分のメンターの対象として考えてください。要するに、可能性は末広がりだ、ということです。(自分の学校内や市内だけに限定することすらありません。いまやインターネットの時代なのですから。言葉に制約がなければ、メンターは世界にまで求められる時代です!)
 そして、いろいろな人の得意領域から学ぶというスタンスも大切です。(なかなか、一人の人がすべてに秀でているということは稀なので。)これによって、一人に常に相談することで、過剰な負担をかけなくて済むということもあります。

4.学びは双方向! さらには波及効果さえあるもの
 質問をしたり、助けを求めたりすることは容易ではありませんが、尋ねられたり、求められたりしたら、ほとんどの人は喜んで応えます。メンタリングの関係は、メンティー(サポートされる側)にとっての学びがあるのと同じくらいに、メンター(サポートする側)にとっても学びがありますから★★、ドシドシ活用してください! それが、自分や子どもたちを含めて、誰にとってもいいことなのですから。

 以上の他にメンターの人選に当たっての注意点やヒントが考えられる方は、ぜひ教えてください。

 以上は、メンターの選択について書いてきましたが、ある意味では読書する時の選書や、作文を書くときの題材選びと同じと言える気がします。(選書は、自分にピッタリの本を選ぶ。題材選びは、自分にピッタリの各題材を選ぶ、です。) さらに、批判的思考とは訳さないクリティカル・シンキングを磨くチャンスでもあります。クリティカル・シンキングとは、大切なものは何かを見極める/選択する(と同時に、大切でないものも何かを見極める)力ですから。


★ 日本ではあまり紹介されていませんが、教師の違い(教え方の違い)で子どもたちの学力を含めた成長の違いがどれだけあるかということは、欧米では計測されて続けています。(「効果的な教師」や「効果的な教え方」の名の下に、少なくとも40年ぐらいの実績があります。もちろん、この種の研究にどれだけの信憑性があるのかということは、常につきまといますが・・・でも一方で、常識的に誰もが感じていることを数値化してくれているだけとも言えます。)たとえば、より効果的な教え方ができる教師は、そうではない(つまり、自分が子ども時代に体験したような教え方を踏襲したままの=指導案にのっとった授業をする)教師に比べて、約3倍の違いを生み出しているという結果が出ています。
  この種の研究が明らかにしてくれることは、教師と一言でいっても多様であり、教師一人ひとりは常によりよいクラス運営やよりよい教え方を志向できるということだと思います。そして、それは終わりのないプロセスです。
  その意味では、「もうこれでいい/十分」と割り切ってしまっている教師は、早く退職した方が子どもたちのため、ということになります。そう周りから思われないようにするためにも、メンターを確保して成長し続けてください。

★★ 相手が学べていないと思えたら、即メンタリングの関係を解消した方がいいです。お互いにとって時間の無駄を避けられますから。公式な指導教員との関係の場合は、残念ながら解消するわけにはいかないので、我慢してください! (いや、黙って我慢しているよりは、教育委員会の担当者にその旨を伝えてみてください。教育委員会にとって自分たちがどれだけおかしなことをしているのか気づく機会になりますから。しかし、そのアクションを起こす前には自校の校長・教頭を含めて、少なくとも5人に必ず相談してください。)



2016年11月13日日曜日

「21世紀の教師」の特徴


 あなたは、タイトルからどんな特徴を思い浮かべますか?
 特に、「20世紀の教師」と対比して。

タイムマシンがあったとして、50年前、100年前、150年前を瞬時に移動できるとしたら・・・・そして、私たちに身近ないろいろなものの生産現場や消費現場、そして学校などを見て回れるとしたら、おそらく一番変わっていないのが学校ではないでしょうか?(先日、二宮君の「坊ちゃん」を見ましたが、まったくいまと同じでした!!)

でも、ほとんどすべてのものが急激なスピードで変わりゆく中で、学校だけが変わらないというのは、いいことなのでしょうか?(あるいは、許されるのでしょうか?)

そこで見つけたのが、表題の記事でした。「21世紀の教師」がもっていることを期待される特徴にはどのようなものがあるのでしょうか?

1.学習者中心のクラス
 生徒たちは存在するあらゆる情報・知識にアクセスできるのですから、教師が生徒たちの頭の中に情報や知識を順序よく流し込むような教え方をする必要は、もはやありません。そして、すでに個々の生徒の学び方、学ぶスピード、得意・不得意、目標(夢)などが歴然と違うこともわかっていますから、一斉授業をやり続けることもできません。生徒たちには選択肢が提供され(生徒自身が選択肢をつくり出すことも含めて!)、自分の興味関心を活かしながら、主体的に学べる授業が中心です。

2.ワークシートなどの紙からデジタルに
 生徒たち(大学生まで含めて)は、生まれた時からインターネットやパソコンが生活の一部になっているデジタル世代です。多様なSNS(ツイッター、インスタグラム、フェイスブック、LINEなど)やブログや動画などを使いこなしています。これらをいつまで教室/授業から閉め出しておくことができるでしょうか? 教師も、これらを使いこなせないと、生徒たちとのコミュニケーションがとれなくなるかも??
 生徒たちは、TEDhttps://www.ted.com/talks?language=ja)を見るのが大好きですし、フェイスブックなどで授業中だけでなく継続してやり取りをするのも大好きです。

3.グローバル
 日本は明治以降、「国際化」と叫び続けてきた歴史がありますが、150年経った今でも、その実態はほとんど伴っていません。すでに直接つながれる時代であるにもかかわらず、多くをマスコミの情報(それは、偏った情報!?)に頼り続けているのが現状です。(特に、教育に関しては、鎖国時代が続いているといった方がいいかもしれないぐらいです。)
 情報はすでに存在しています。それにアクセスするか否か選択肢を教師一人ひとりはもっています。自分のほしい情報を、自分で得るのが21世紀の教師の大事な柱です。

4.ブログを書く
 ブログを書くか書かないかは、もはや選択肢ではありません。仕事の一部です!! まさに、「デジタル・ポートフォリオ」をつけることですから。生徒たちに、同じことをしてもらうモデルです!(何は情報として掲載することができ、何はできないのかも含めて。さらには、文章力が大切であることも!)

5.協力関係
 ワークシートなどの資料で紙を使い続ける限りは、管理を意味します。それに対して、デジタルは協力です。生徒たちや同僚と(さらには、保護者や地域の人たちとも?)協力して、授業だけでなく様々な活動に取り組めます。紙だとコミュニケーションが途切れてしまうのですが、デジタルだと継続的にも行えます。いいアイディアは一方通行からも、一時のイベントからも生まれません。双方向の途切れることのないやり取りからこそ得られるものです。

6.探究学習やPBLが中心に
 情報をもっているのは教師だけ(教科書だけ)という時代の学びと、情報はどこからでもすぐに得られる時代の学びとは、自ずと違います。後者の時代の学びに適しているのが探究学習=PBL(プロジェクトや問題設定&解決学習)★です。それは、生徒が自ら興味のある質問や題材を設定するところから始まり、専門家に接触することも含めて、多様な媒体を使って調べ、まとめ、そして発見したことや解決策を当事者たちやクラスや学校のみんなに発信する学びです。これまでの調べ学習と違うところは、教師が設定した質問設定ではないことや教室の中で発表して終わりではないことです。本当のフィードバックをその当事者たちからも得られます。それが、次の探究やPBLのサイクルを回していく原動力です。

7.学び続ける
 学ぶことを卒業してしまった人には、21世紀の教師は務まりません。教科書をカバーしていれば済む時代では、もうありませんから。情報と知識は刻々と増えて続けています。それらをやみ雲に追いかけるのではなく、自分に必要なものをわきまえて取捨選択しながら、学び続けることは何よりも大切なことです。(おそらく、そこにこそ生徒たちは一番惹かれますから。)


★ 作家の時間や読書家の時間は、国語における探究学習=PBLと捉えられます。サイクルを回し続けるところも、同じです!

参考:


2016年11月6日日曜日

初任者指導教員の役割~学び続けることの大切さ~


 平成元年から始まった初任者研修制度では、「初任者研修」として、「校内研修(OJT)」を週10時間以上、年間300時間以上、さらに「校外研修(Off-JT)」を25日程度という膨大な時間を費やします。しかし、それによって初任者の力量形成がどれだけ図られているでしょうか?

 大きな問題を抱えている「校外研修」について今回は触れませんが、「校内研修」にも問題があります。まず、初任者が「初任者指導教員」を「選べない」ということです。「選べる」ようにすることは、現実的に不可能です。それでは、この「校内研修」の問題を解決・改善するためには、どうすればよいでしょう? 

それは、「初任者指導教員」が学び続け、職責を全うできるようにするしかありません。「初任者指導教員」は、最新の脳科学や認知心理学などの知見に基づく「学習科学」、「授業デザイン・カリキュラム開発」や「カリキュラムマネジメント」について学び、そして、初任者の人材育成を効果的に進めるための「コーチング」や「メンタリング」の理論と方法論を学び、身につける必要があります(このことは、初任者や管理職を含めた教師全員に当てはまることだと思います)。 

つまり、「初任者指導教員」には、自ら学び続けることが義務づけられているのです。しかし、不思議なことに、このことは「初任者指導教員」を対象とした研修会で、ほとんど強調されません。おかしな話です。初任者指導教員が学び続けることによって、初任者が教師としての力量をアップできる可能性が大きく広がるわけですから、「学び続けること」が、初任者指導教員の「使命・ミッション」であるといえるでしょう。 

 実は、私、この4月からある小学校で「初任者指導教員」をしています。週に2日半の勤務で、二人の初任者を担当しています。 

■初任者の授業を参観して放課後などに行う授業実践の「ふりかえり」は、『作家の時間』(プロジェクト・ワークショップ編、新評論)の4773ページに掲載されている「カンファランス」のスタイルで実施することを基本としています。ここに書かれている実践は、正に、人を育てるための「コーチング」や「メンタリング」で大切にされていることと同じなのです。 

■授業実践の「ふりかえり」の流れ及び初心者指導教員としての「基本的なスタンス」は、以下のとおりです。

1.初任者本人の授業実践の「自己評価」からスタートする。

2.「プラスのフィードバック・勇気づけ」を多くする。→ 「信頼関係」が生まれる。

3.「質問」を通して、本人の「気づき」を促す。
  → ポイントは、「授業が、子どもが主体の学習になっているかどうか」

4.本人が自分自身で考えるために必要な「情報提供」や「提案」、「選択肢」を示す。 情報提供:参考になる本やインターネット上の情報、研究会などを含めて

5.できる限り、本人の考えや希望・やりたいこと・やってみたいことを優先する。

6.一緒に考える。

7.モデルとして示す。→ 「マイクロ・ティーチング」のスタイルで行う。

8.辛抱強く待つ。決して、拙速に一方的に押し付けたりしない。

9.初任者が、気になることや困っていることの確認をし、相談相手になる。
  (授業、学級経営・生徒指導、保護者や教職員との人間関係etc.

10.積極的に校内の先生方に教えを請うたり、アドバイスやフィードバックをもらうことを推奨する。→ 初任者本人が、校内での「メンター」を見つける。 

 初任者指導教員は、初任者の「伴走者」として、初任者本人と学級の子どもたちの状況を注意深く見守り、初任者の主体性と思いや願いを尊重しながら、初任者の教師としての成長と行動や意思決定をサポートするという重要な役割を担っているのです。