2017年5月28日日曜日

プログラミング教育は日本を救うのか

 Wireless Wire News』というブログに次のような記事がありました。

 
  「プログラミング教育の落とし穴」2015.10.26

(筆者は清水 亮氏。同氏は、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げるなど天才プログラマーとして知られている)

 
「プログラミングの「何を」学ばせたいのか、そして子供たちにプログラミングを学ばせることで、どうしたいのか、という指導方針が各社まちまちで、「果たして高い月謝に見合うだけの価値があるのだろうか」と首を傾げるものが多いのです。

プログラミング教室で最も問題となるのは教材の質です。

小学生などを対象にしたプログラミング教室では、主にマサチューセッツ工科大学のミチェル・レズニック教授らが開発した子供用ビジュアルプログラミング言語Scratch(スクラッチ)を使った講座が数多く組まれています。

確かに、Scratchはプログラミング入門の第一の障壁であるキーボード操作に習熟しなくても手軽にプログラミングを体験できるため、入門には適しているのかもしれません。

しかし、Scratchの明らかな問題点は、Scratchを構成するそもそもの発想が古すぎるということです。

そもそもScratchは手続き型プログラミング言語、平たく言えばかつてのFORTRANや、BASICといった世界観に原始的なオブジェクト指向を組み合わせた世界観しか表現できません。 ~(中略)~

もっと大きな問題は、Scratchの延長上に普通のプログラミングがないことです。

たとえば、かつてBASICが隆盛を極めたことがありました。

  大人も子供もBASICを学んだ時代です。

BASICでできることは、今日Scratchでできることとほぼ同じです。

  しかし、BASICの場合、その延長上にプロとしての仕事がありました。

商業用ソフトがBASICで書かれたり、また、企業や工場の中で使うアプリケーションが
BASICで書かれたりということはよくあったのです。

ですから、BASICが書ければ飯が食える、という状態が一定期間ありました。

 これは90年代の終わり頃まで続きます。

その後、プログラミング言語の主流はC言語に移り、C++言語に移り、Javaに移行してい
きました。

一貫していたのは、CだろうがC++だろうがJavaだろうが、延長上に仕事としてのプログ
ラミングがあったことです。

飯が食えるなら、勉強するのも悪くありません。

ところがScratchは、いくら勉強しても仕事になりません。せいぜい、Scratchを教える
教員になれるくらいです。」

 

これから新学習指導要領の対応に追われる小学校は間違いなく、教科書会社や教材会社の薦める「プログラミング教育のための教材」に飛びつくことでしょう。若手教員で、デジタル機器の取り扱いに長けている人が先導役に指名されると思います。おそらく、そのときの主流になりそうなものの一つが先ほどの「Scratch」というソフトウェアなのです。

 天才プログラマーが「Scratch」は将来性のあまりない、閉ざされた世界のものですよと警告しているわけですから、これは要注意です。教育委員会でもこのことを理解している人はほとんどいないでしょうから、やってはみたものの役に立たないという可能性があります。

新・小学校学習指導要領では、算数科において「指導計画の作成と内容の取扱い」の中で、次のような例示があります。

「第1章総則の第3の1の(3)のイに掲げるプログラミングを体験しながら論理的思考力を身に付けるための学習活動を行う場合には,児童の負担に配慮しつつ,例えば第2の各学年の内容の〔第5学年〕の「B図形」の(1)における正多角形の作図を行う学習に関連し

て,正確な繰り返し作業を行う必要があり,更に一部を変えることでいろいろな正多角形を同様に考えることができる場面などで取り扱うこと。」

 
また、理科においても同様に次のような一文が例示されています。

「例えば第2の各学年の内容の〔第6学年〕の「A物質・エネルギー」の(4)における電気の性質や働きを利用した道具があることを捉える学習など,与えた条件に応じて動作していることを考察し,更に条件を変えることにより,動作が変化することについて考える場面で取り扱うものとする。」

 
ここで、大切なことは「はじめに内容ありき」ではなく、上記のような指導方法が求められるような指導計画や授業の進め方です。教科書の内容に即した、自由度のない、ただこなすだけの学習になっては教師にとっても児童にとっても面白いはずがありません。また、ただ活動していればよいというのであれば、それも時間の無駄です。

これまで○○教育が学校に持ち込まれる度に、だれが作ったのかわからないような冷めた食事を無理やり食べさせるようなことが繰り返されてきたと思います。その過ちを繰り返してほしくないと切に願うところです。

そのためにも学校現場の先生方には、自分のネットワークを最大限に広げて、お互いに情報の交換を積極的に進めることが大切だと思います。よいアイデア、プランはSNSなどを利用して、どんどん広げていくことです。上からの上意下達を吹き飛ばすような、子供たちに一番近いところにいる先生方ならではの風を吹かせてほしいと思います。

2017年5月21日日曜日

「算数・数学はアートだ!」を同僚に紹介する

埼玉の小学校の先生のBさんが、以下の紹介文を送ってくれたので、そのまま紹介します。

先生達は、算数を教えていて楽しいですか?
僕は、今は、楽しいです。

だけど、この本を読む前は、 
毎時間授業をどうやって流そうか? 
業者のテストや県や国の学力テストの得点が低い子たちを 
みんなと同じように学べるようになるどうしようか? 
やる気のない子たちをどうやって一斉授業に参加させようか? 
どうやったら楽しく力のつく授業をつくることができるか? 
そんなことばかり毎日考えていました。

いろいろ考えて少しずつ試してみても、そんなに現状は変わらない。 
そもそも僕たちが教科書を使って子どもたちの教えている算数は、 
高校受験、大学受験で、出題される算数・数学問題を解けるように 
易しい問題からだんだん難しい問題を教えているだけに過ぎない 
ということに気づかされます。

本当に算数を楽しむということはどういうことなのか? 
そもそも算数・数学って何なの? 
算数・数学の楽しさって何?
 
そういったことについてはっきりと自信を持って筆者は、述べ
ています。
具体的に算数の授業をどうつくっていくかということについては
書かれていません。しかし、現状の算数・数学教育をバッサリと
ぶった切る文章は読んでいて、面白いです。
 
僕が心に残っている部分が、3つあります。

初めは、ほんの一番初めにある 
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉の引用です。

「船を造りたかったら、人に木を集めてくるように促したり、作業や
任務を割り振ることをせず、果てしなく続く広大な海にあこがれる
事を教えよ。」

 教師の僕たちがこれから心がけていくことはこういう事なのだと 
思いました。各教科の細かい内容をどうにかしようとするのではなく、 
その教科のすばらしさや価値、学ぶことの楽しさを感じられるように 
働きかけたり、環境を整えたりすることなのではないかと思っていま 
す。そして、それを語れたり、見せたりすることができるようになる 
には、僕たち教師が、日々学び続けることが大切だとも思います。

 次にP19の
「まず理解すべきことは、数学はアート(芸術)だということです。
この数学とはほかのアート(音楽や美術など)との違いは、社会
全体が数学をアートだと認めていないことにあります。誰もが、
詩人・画家・音楽家は、言葉やイメージや音の表現を通して芸術
作品をつくり出しているということを理解しています。」

 ここを読んだ時、なぜ、数学は、様々な取り組みが認められず 
学校の授業が、一斉授業だったり、教え込みだったりの一方通行 
になりがちになってしまうのかということがよく分かりました。 
日本では、算数・数学は、大学進学や就職試験のための手段で 
しかないのだと気づきました。

三つ目は、
「改革の動きのなかでもっとも悲しい部分は、『算数・数学を面白く
 する』と『子どもたちの生活に関連づける。』という二つの試みで
 す。数学を面白くしようとする必要はないのです。なぜなら、すで
 に十分すぎるぐらいに面白いのですから。そして、日常生活との
 関連のなさこそがまさに数学の栄光なのです。だからこそ楽しいの
 です。」

 僕たちが、校内研修や、研究授業、研究協議でやっていたことは、 
子どもたちが数学の楽しさを感じられるようにすることと逆のこと 
をし続けていたということでした。

 この本を通して、算数・数学を学ぶとはどういう事かという根本的 
なことについて、教えてもらったり、考えさせられたりしました。
子どもたちが本当に算数を楽しいと感じられる授業をつくるための 
羅針盤となるこの本をぜひ、読んでみてください。そして、今の学校 
組織やカリキュラムの中で、本当に算数を楽しいと感じられる授業を 
子どもたちとどうつくっていったらよいか一緒に話し合えたら最高です。

2017年5月14日日曜日

よりベターな授業実践に向けてのヒント集


○学習環境は生徒と学習を積極的に支える(P18)
 ・生徒がありのままで受け入れられ、尊重されること
 ・成功と失敗はどちらも学習の過程で必要なものであり、教室は成功しても失敗してもよい場所であること
← 学習環境にはハードとソフトの両面がありますが、両方がおろそかにされ続けている感じです。特に問題が大きいのは後者のソフトの方でしょうか。要するに、「学びのコミュニティー」を作れていない! 教師ががんばって教える場づくりに熱心なあまり? 子どもたちは、教師以外からの方がはるかにたくさん学んでいるにもかかわらず・・・・
 下のサイトが参考になります。

教師は一人ひとりの違いにしっかり注意を払う
「子どもたちは、みんな同じではないという世界を受け入れている/みんなが同じであることを求めているのではなく、自分が尊重され、大切に育てられ、自分ができないと思っていることが達成できたときの喜びの感覚を求めている」p18)
この部分も新鮮でした。P31の「哲学」の最初に「多様性は普通のことであり、価値のあるものである」とありますが、日本の学校(小中高)ではそのように考えられていません。私が相手にしている学習者は母語も異なる外国人ですから、「みんな同じように」を求める必要はないはずですが、「できる」「できない」で判断し、「できない」が続けばやり直しと当たり前のように考えていたことを反省しました。

カリキュラムは学習を支援するために構成される(P20~21)
 生徒がマイアミからボストンまで旅行することを目的とした例が分かりやすかったです。← ルートは複数あったほうが、子どもたちはありがたい、ということであり、まちがっても、一つのカリキュラム(ルート)に子どもたち全員を合わせてはいけない、ということ!

○何が一番大切なのかはっきりさせること(P20)
← このことに関心をもたれた方は、ぜひ6465ページを読んでみてください。とても分かりやすく書いてあります。
  教室で行われる学習というのは、本来、「教師」と「生徒たち」と「内容」の3者をうまくミックスして行うものです(詳しくは、5766ページを参照)。その内容の中の一つの材料である教科書をカバーするために行うものではありません。それのみが突出してしまうと、教育活動としてはプラス面よりもマイナス面の方が多いことをやり続けることになる気がします。

評価と指導は切り離せない
「教師にとって極めて重要な授業の目標は、生徒が自分自身の学習に責任をもつようになること」P21)
← これは、第1章ですでに強調され、この本の残りでも強調され続ける形成的評価の大切さです。http://projectbetterschool.blogspot.jp/2017/04/blog-post_30.html
日本では依然として、評価は指導が終った段階でするものという捉え方が主流ではないでしょうか? 生徒一人ひとりが自己評価でき(時には、教師やクラスメイトの評価も踏まえつつ)、自己修正・改善し続けることこそが学習なのに。これは、下に出てくる表2.1と入れ子状態にあります。

○レディネスが十分でない生徒(P23)

○「生徒は互いの成長を支えるために協力し合う」(p.18)、「生徒が互いに最良の支援者となる」(p.29)

2.1 教え方のアプローチが異なる教室の比較(P30)
 私の場合、×は左側(伝統的な教室)の方が圧倒的に多かったです。これからどうやって右側(一人ひとりをいかす教室)の〇を増やしていけるかが大きな課題となりました。← これは、教師ならどういう状況にある人でも参考になるチェックリストだと思いますので、ぜひ自己診断→自己修正・改善のステップを歩み始めてください。

〇一人ひとりをいかす教室の三本柱(P31)
文中にも出ていたことですが、この中の「哲学」が非常に共感できました。これがこの章で私が得たハイライトかもしれません。「原則」はまだ80%ぐらいしか理解していないと思います。「教え方の実践」は理想としては分かります。目指したいとは思います。

「生徒の努力が成功によって報われる経験を何度もできるように、足場かけをする」p.33)

「(教えることの)哲学は、あなたと生徒との関わりに、カリキュラムについての考え方に、そして、あなたの教え方の手順に、どのように現れていますか?」p.35)

以上は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(キャロル・トムリンソン著)の第2章(17~35ページ)のブッククラブからのハイライト=引用+コメントです。(カッコないは、本のページ数。←青字は、私の付けたし、です。

最後に、私のオススメを2つほど:

この章では、「一人ひとりをいかす教室」を実現するための8つの原則が書かれています。最初の4つについては、上ですでに紹介されていますが、後半の4つは
・教師は、生徒の多様性をもとに、(学習する)内容や方法や成果物を変える
・教師と生徒は学習について協働する
・教師はクラスの到達規準と個人の到達規準のバランスをとる
・教師と生徒は柔軟に活動する ~ ここで紹介されているオーケストラのコンダクターの例がとても分かりやすいです!
です。

もう一つは、この章の最後の部分:
○「教師としてあなたが現在実践していることと、教師としてあなたが力量を向上させようとしている方法について、読み、考え続けるつもりなら、あなたが言葉にした(あるいは、まだ言葉にしていない)教えることの哲学★について考える時間を取ってください。~上のp.35の部分~ 現在のあなたの哲学は、教育者としてのあなたの成長にどのように役立っていますか? それはあなたの影響力をどのように制限する可能性がありますか? 思慮深くて、振り返りを大切にする授業実践は、教師と関わり合う生徒たちの自己実現に貢献するだけでなく、教師の自己実現にも寄与するのです。



★ 哲学という言葉に違和感があるなら、教えることについての「考え」や「方針」でもいいです。


2017年5月7日日曜日

ひとに対する敬意~学級担任とのティームティーチングを通して考えたこと~


 年度末の人事異動により、この4月から小学校で週に2日半「少人数指導教員」をすることになりました。少人数指導といっても、実際には、学級担任の先生との算数のティームティーチング★です。担当している学年は、小学校1・2年生です。今回は、少人数指導教員として約1カ月の間に気づいたこと、感じたこと、考えたことについて紹介します。 

「勇気は伝染し、尊敬も伝染する」

 これは、学級担任をしている青年とカウンセラーの哲人との対話を通して、アドラー心理学についてわかりやすく書かれた『幸せになる勇気』岸見一郎・古賀史健()[ダイヤモンド社]の一節です。

  2年生のあるクラスの算数の授業で、「くりあがりのある足し算」の練習問題に子どもたちが取り組みました。いつもどおり、丸つけをしていたのですが、計算がちょっと苦手、というより正確には、学習ペースが他の子と比べるとゆっくりな女の子(Aさん)がいました。その子の横で問題の丸つけをしながら、「数字がていねいにしっかりと書いてあって、上手だね!」、「担任の先生が言ったとおりに、定規で線をきれいに引いていて、素晴らしいね!」などとプラスの言葉かけをしながら、つまずいている問題について、授業で学んだ計算の仕方を一緒に確認し、Aさんのペースで計算を進めました。すべての計算が終了した後、ノートに花丸を書きながら、「全部できました。やったね!これからも算数がんばりましょう!」と「期待」の言葉かけをしたのです。 

その授業が終わって学級全体で挨拶をした後、Aさんが私のところに来て、小さな声で、でもしっかりとした口調で「K先生、一緒に考えてくれてありがとうございました」とお礼の言葉を述べて、深々とお辞儀をしたのです。私は、びっくりするとともにとっても温かい気持ちになりました。「こちらこそ、ありがとうございました」と、その子に答えながら「よし、これからも算数の授業がんばるぞ!」と、少人数指導教員としてのやる気に火がついていたのです。 

 放課後、学級担任のM先生にこのことを伝えました。すると、M先生からの反応は、「えっ!? さんですか!? さんは1年生の頃、緘黙だったのです。そうですか、Aさんが先生にお礼を言ったのですか。驚きですね。すごいですね。素晴らしいですね。成長していることがわかって、うれしいです。ありがとうございます!!」というものでした。 

 M先生は、学年主任をしていて、朝、職員室で会ったときに、いつも必ず「おはようございます。K先生、今日も算数の授業よろしくお願いします」と挨拶をしてくれます。2年生の、他の二人の学級担任の先生も同じように挨拶をしてくれます。 

放課後になると、職員室にいる私に対して、「今日の算数、ありがとうございました。この次もお願いします」と、お礼の気持ちを言葉にして伝えてくれます。また、少し手を焼いている男の子の様子やその子へのはたらきかけについても話をしてくれます。多少疲れ気味な日も、話をしているM先生の表情は、明るく前向きなものです。まるで子どもたちとのかかわりを楽しんでいるようで、子どもたち一人一人に対する「敬意(好奇心・関心)」教師としての温かい「愛情」が感じられます。 

 正に、学級担任・学年主任であるM先生の「ひとに対する敬意」が、学級の子どもたちや学年の先生たちにも伝染している・影響を与えているのです。そして、私に対しても。★★ 

■私自身が少人数指導教員として、算数のティームティーチングで心がけていること(今後、取り組もうと考えていることを含めて)は、次の3つです。

1.子どもたち一人一人の学習意欲・やる気を高める。

2.子どもたち一人一人の学習状況に対する学級担任の先生の理解を促進・支援する。

3.子どもたち一人一人が主体的に算数の学習に取り組めるような提案をする。

  1については、子どもたちがノートに書いた学習課題に対する自分の考えについて、子どもたち自身に説明してもらったり、練習問題や復習プリントの丸つけをしたりするときに、「うん、うん、そうか!」、「とってもわかりやすいね!」、「納得!」、「すごいね!」、「素晴らしい!」、「やったね!」、「全問正解だよ!算数、得意でしょう!」、「おしい!あとちょっとでパーフェクト!」、「ここのところをどうしたらよいか、もう一度、前の授業でノートに書いたところを見て、考えてみるとわかるよ!」など、子どもたち一人一人に対してプラスのフィードバック・ストロークをしています。 

2については、算数の学習が終わった後や放課後に、気づいたことやメモした内容を学級担任の先生に伝えるようにしています。 

 3については、今後、312日のPLC便りで紹介された『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ ~「違い」を力に変える学び方・教え方』[北大路書房]や『算数・数学はアートだ!』P.ロックハート(),吉田新一郎()[新評論]『受動から能動へ』正木孝()[東洋館出版]などを参考にして、具体的な提案をしたいと考えています。 



 本来のティームティーチングでは、授業・学習指導における複数の教師の「役割」は固定しない(同等の役割関係)ということが常識なのですが、私が所有している教員免許状は中学校と高等学校のもので、正式には小学校教員免許状をもっていないので、学級担任の先生がT1(メインの役割を果たす教師)、私がT2(サポートの役割を果たす教師)ということになっているのです。 

★★ 『人を動かす2~デジタル時代の人間関係の原則』D.カーネギー協会(),片山陽子()[創元社]の中(p.12)にも、「これらの原則は、人を動かせるのは演出や操作ではなく、深い敬意や思いやりや好意を表すことのできる本物の習慣だけだと言っているのである」と書かれています。また、中原 ()フィードバック入門』[PHPビジネス新書]第2章「部下育成を支える基礎理論 フィードバックの技術 基本編」でも、「フィードバックは、まずは相手の成長を願い、相手の意志をリスペクト(尊敬)する態度から始めましょう」とあります (p.107)。さらに、25日のPLC便りで紹介された『好奇心のパワー』[新評論]は、「ひとに対する敬意・好奇心」にあふれたコミュニケーションの実際について書かれた本です。