2017年9月10日日曜日

宿題について考えよう!


「思考停止」(=「葬り去ろう」)の第2弾です。
第1弾は、読書感想文と作文コンクールでした。

宿題については、https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170828-00010441-jprime-life の記事を読んだのがきっかけでした。
本末転倒なことが、当たり前化しているおそろしさを垣間見てしまいました。
というか、教育界の思考停止の象徴ともいえるようなことです。

この記事に関しては、下のようなフィードバックが仲間の先生から得られました。

宿題委託問題について

最近では、夏休みの宿題を業者に委託する家庭も多く、宿題請負ビジネスが成立しているようだ。
受験を控えている親子さんたちにとっては、いかに効率よく学校から出される夏休みの宿題を回避するかが問題。私の学級では、幸いにしてこのようなことはまだないが、それだけまだ牧歌的な地域なんだろう。

最近では、例年通りという名のもとに盲目的に学校から押しつけられてしまう夏休みの宿題に、とくに違和感を持つようになってきた。それは、日常の授業で、子どもたちと個別にかかわり続けることで、一人一人のニーズに応じた学びをつくることの大切さと難しさを感じているからだ。子どもの持つ家庭背景やその家庭教育力の欠損にも視野がいき、学校から一律、全員が同じように出される宿題について、だいぶ相対的に考えられるようになってきた。

あらかじめ、夏休みの宿題をやってこれないだろうと予測される子がいる。つまり、家庭教育にじっくりとゆとりを割けられない家庭の子どもたちだ。その子たちから「宿題を忘れました」と言われると、以前の私は「このやろう!先生からの愛のこもった(一方的な)宿題をやらないなんて!努力がたりない!」と思っていたが、ここ数年、「おしつけている心苦しさ」を感じてしまう。と共に、かたくなに前年度を踏襲するベテラン教員のもつコトナカレ学校文化を変えられないもどかしさの中にいる。

夏休みの宿題について子どものことは子どもの聞いてみる。それなりの本音を教えてはくれるけれども、それだけは本当の問題はみえてこないだろう。やはり、家庭でのイライラや徒労感をもって「いかに宿題をさせるか」といったムダな闘争を強いられている保護者からの生の声を聞いてみたい。そこで、さっそくインタビューをしてみた。

するとやはり、教え手の都合で出されている宿題と、学び手のニーズとの乖離が浮き彫りとなった。母親たちからは、それでも建設的な意見も聞かれ、希望を感じると共に、そのような可能性ある家庭を伸ばし切れていない現実に、申し訳ない気持ちとなってしまう。

以下、母たちの嘆きの声を一部まとめたものである。

★★★

小3男子の母親より
特に受験があるご家庭は、夏休みの学校の宿題どころじゃないのでしょう。親と夏休みの個人面談で、夏休みの宿題について話をするのはどうでしょうか。選択式でよいのではと。夏休みに、何を得たいかは、ご家庭で違うと思います。子供の成長について考える、良いきっかけなのではないかなと。わが家は、自由研究や読書感想文はオーダーしないですが、母がつくる学校指定の色んな縫い物は、すべてアウトソーシングしているので、気持ちがわからないでもありません。

小2女子の母親より
特に自由研究と読書感想文は、事前に授業でテーマとか、本選びとか、何をやるとか、子どもたちが先生と相談して決めてきてくれたら、とっても楽になると思います。あとは、夏休みに自由研究できるように図工室を解放してくれて、ちょっと相談できる先生がいたら、とっても嬉しいなーなんて。子どもだけで、できない宿題を出しているということが、親も子もストレスなんじゃないかと思います。グループで自由研究もできちゃいますしね。学校に作品を運ぶ手間も省けますし、子どもも楽しいのでは。

小4男子の母親
4年の弟は、今年は彼にしては自由研究をがんばって、休み明けにノリノリで持って行きましたが、ガッカリした様子で帰って来ました。工作をやらなかったので「忘れました」と誤った、と言ってますが、自由研究と工作のどちらかでいいとなってたはずなので、何故謝らなきゃならなかったのか、先生に聞かなきゃと思っているところです。いやー、そりゃないよー先生って感じよね!確かに今年は3つまで作品をつくってよいと、先生から作品を記入する小さな紙を持参してきましたよ。もちろん、出したのは一つですが。頑張ったのに、がっかりさせられるなんて、親子でがっかりだわね。

小6女子の母親
夏休みの宿題代行、毎年話題にのぼってて、受験生の我が家は、今年は、発注しよう!とマジな顔で、冗談を言って見ましたが、娘が、「いや~それはないでしょう」と却下。「じゃあ、忙しくても、やるんだね!」と本人の気持ちを確認した母です。でも、もう少し、学校で、導入部分を考えさせてから、出して欲しい。感想文の書き方なんて、一度も指導せず、6年間夏休みの宿題として投げられ、添削もなく終わる。意味があるのか?せめて褒めて欲しい。今年は、なんと、読書感想文がクラス代表で選ばれたので、喜んでいますが。。。本人、6時間かけて、1200字が書けないと、4回くらい書き直していたので、一言くらいは、コメントほしいですよね。文章嫌いを育てる読書感想文なんて、本末転倒ですから~(^^;

★★★引用終わり

お母さんたちの本音を聞いて、どう受け止められるか?

こういった声は学校には届いてこないので、宿題はアウトソーシングされるのである。よかれと思ってやっている学校からの宿題が、子どもや親を苦しめている。これは、学校の持つコミュニケーション不全の問題であり、勇気を持って生の声を聞いてみる対話の場が必要であり、学期末の授業参観では可能だと考えている。
家庭の声を好奇心もって聞くことで、学校はこれまで「かたまり」としてみてたクラスの子ども達が、生き生きとした一人一人の子どもの姿が浮かびかがってくるのではないだろうか。


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