2017年11月19日日曜日

新刊紹介『「学びの責任」は誰にあるのか』


タイトル: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
著者: ダグラス・フィッシャー(Douglas Fisher)&ナンシー・フレイ(Nancy Frey

「学ぶのは誰か」と問われれば、もちろん「子どもたち」ですが、実際の授業はそのようにデザインされていません。(それは、教科書ありきや指導案の存在からも明らかです!)
学ぶ側はもちろん、教える側も学び続けられる「教え方・学び方」はないかと模索しはじめ、5年以上の時間をかけて探しだしたものの一つ★が本書で紹介している「責任の移行モデル」(①焦点を絞った指導、②教師がガイドする指導、③協働学習、④個別学習)です。
これを分かりやすい図に表すと、図1-1になります。

注意していただきたいのは、これらは①から④と順番に行うのでも、常にクラス全員(研修会では受講者全員)を対象に同じ段階の活動をさせるのでもありません。たとえば、②番目の「教師がガイドする指導」をするためには、「①焦点を絞った指導」が終わっていることが前提となります。と同時に、クラスの大半の生徒(受講者)が「③協働学習」か「④個別学習」に取り組んでいることも前提となります。そうでないと、教師は少人数(二~六人)の生徒(受講者)たちを集めて、一〇~一五分の「教師がガイドする指導」を行うことはできませんから。

 しっかりと計画され、実施される指導は、生徒たちと指導する内容について把握していることを教師に要求します。★★また、継続的に生徒たちの内容理解を評価することも必要となります。★★★そして、相互に関連しあう授業によって、教師から生徒に責任の移行が徐々に、計画的に図られる必要もあります。まさに、これを実現する教え方として「責任の移行モデル」が存在します(図で表すと、図1-5のようになります)。この図では、四つの段階が相互に行ったり来たりしているところが強調されています。教師(講師)は、これら四つをうまく使いこなすことで、生徒(受講者)の学びを最大限にすることができるのです。

 本書は、これら四つの要素を、異なる教科の例をふんだんに挙げながら分かりやすく解説しています。それによって、教師主導の「授業」=教師が教え込むことから脱却し、子ども主体の「学び」が可能になります。
これら四つの要素を、教師/講師を含めた大人たちが身につけることができれば、授業や研修が変わるので、生徒や受講者の学びの「質」「量」共に飛躍的に伸びることは間違いありません。★★★★


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★ 他に見つけ出したものには、①ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップ、②一人ひとりをいかす教え方・学び方、そして③PBL~学びの可能性をひらく授業づくりなどです。

★★ 教材研究をしっかりやった上で指導案にのっとった授業は、残念ながら、後者の「指導する内容」は押さえているかもしれませんが、前者の「生徒たちのこと」はほとんど押さえていません。

★★★ 「見取り」という言葉はだいぶ前から存在していますが、その実態はほとんど伴っていない状態が続いています。見取りを実現する方法が「形成的評価」で、図5にしっかり明記されているだけでなく、四つの要素を詳しく説明している第2~5章の各章では、この項目を立てて具体的な方法が紹介されています。

★★★★ 教員研修の場合、「講義」だけで、身についたり、できるようになったりするはずはありません(焦点が絞られていないと、「退屈度」は増すばかりです!)。そして、たとえ内容のある「演習」(=③協働学習)を踏まえたとしても、④個別学習がないかぎり、難しいです。加えて、対象によっては、②教師がガイドする指導も欠かせません。何せ、身につけてしまっている負の習慣を「アンラーンする(学び直す)」必要性が子どもたちのレベルではありませんから。
こうしたことをうまくバランスさせるために何よりも重要なのが、「形成的評価」です。それによって、①~④の何を教師と生徒がすべきなのかが分かることで、「指導と評価の一体化」が実現するからです。逆に、継続的に形成的評価が行われていないと、事前に講師が決めたレールの上を(たとえ、それが効果的ではなくても)進む選択しかないことを意味しますから、結果的に残るのは教えた気になった講師(プラス何を得てほしいと淡い期待を抱いていて講師を呼んだ企画者)の満足感だけという悲しい状態が続くだけです。
  この偉大なる研修における「負の習慣をアンラーンする」ことこそ、授業レベルでの負の習慣をアンラーンする前提にないと、授業自体が変わるとは思えません。毎回の研修で、②~④なしで、ほとんど①だけの、まずい授業の見本を示され続けるのですから。日本の教員研修に携わっている人たちの中に、この事実を理解できている人は、残念ながらまだ一人もいないと思います。

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